「秋立ちぬ」は昭和35年の作品ですが、築地川周辺がロケ地になっています(作品は、You tubeで見ることができます)。
父親が亡くなった後、母親(乙羽信子)に連れられて東京へ出てきた男の子のひと夏の物語です。冒頭で、母子は銀座4丁目交差点から、銀座通り、昭和通りを渡り、築地方面へ向かいます。もう交通量は相当のものです。二人は当時の「京橋小学校」を通りすぎ、築地川にかかる新富橋を渡ります。この京橋小学校は平成4年に築地小学校に統合され、校舎跡は、現在では「京橋プラザ」になっています。
夏のある日、男の子(小学6年生)は、知り合いになった女の子といっしょに銀座へでかけ、松坂屋屋上に上ります。当時は、屋上から東京湾方面を見ることができたのですね。それからしばらくの後、二人はタクシーで、勝鬨橋を経て晴海の埋立地まで海を見に行きます。
映画では、埋立て以前の築地川を見ることができますが、かなり水質汚染が進んでいたことは子供の会話でもわかります。 銀座も戦後しばらくまでは、東に築地川と三十間堀川、西に外濠川、南に汐留川(新橋川)、北に京橋川と四方を川に囲まれた「島」だったのですね。 戦後、昭和24年に戦災瓦礫によって三十間堀川が埋め立てられたのを最初として、次々に埋め立てられていき、三十間堀以外はすべて高速道路に変わってしまっています。 最後まで残ったのが築地川ですが、東京オリンピックの前に埋め立てられています
当時の皇太子殿下(現在の今上陛下)のご成婚が昭和34年で、その頃からテレビが急速に普及しました。ミゼット(三輪車)が走っているのもなつかしい。日本経済もこの頃から本格的な高度成長期に入り、昭和39年のオリンピックに向けて、東京のインフラは大改造(少なくとも部分的には大改悪)されていくのですね。
私は、当時は大阪市中央区(当時の南区、平成元年に東区と統合)にいましたが、船場、島之内を囲んでいた川をはじめとする市内の相当部分の河川が埋め立てられました。それはやはり昭和35年頃から始まっています。