近年の「日本橋」について、矢田区長は「日本橋から大企業の本社機能の転出が始まったのは昭和50年代前半のことである。流通機構の変化が叫ばれ、日本橋に集積していたさまざまな問屋に陰りが感じられるようになったのは50年代後半である。・・・・そして平成10年以降には、バブル経済の崩壊や金融再編の流れの中で日本銀行の周辺から地方銀行など金融機関が消えていった。・・・・・・このような変遷と・・・変化によって、いつのころか誰言うともなく『日本橋の地盤沈下』がささやかれるようになったのである」(「日本橋ルネッサンス」『日本橋トポグラフィ事典』2007年)と述べておられる。
「日本橋は今日でも東京の、さらには日本全体の金融の中心と呼べるかもしれない。日本銀行も証券取引所も日本橋にある。けれども大企業は、ほとんど日本橋からほかの土地に出ていった。三井銀行や第一国立銀行も...本店はもう日本橋にはない」(サイデンステッカー『東京下町山の手』ちくま学芸文庫:261頁)
「東京一極集中」の抗しがたい流れの中で、経済を含むすべての面で「地盤沈下」を余儀なくされ、本社機構の「東京への流出」が続いている「大阪市(中央区)」の出身者としては、上記のような状況には心から同憂の感を持ちます(なお、この間の『大阪市解体論』は、否決されてよかった、と私は考えています)。現在では、大手銀行、金融機関で大阪に本店を置く社は絶無になった。上記の矢田区長の文章など、「日本橋」の部分を「大阪市(中央区)」に入れ替えて、年代を少し変えると、そのまま通用します。
その東京日本橋地区ですが、最近はコレド日本橋、日本橋三井タワー等もできて、再興への動きが著しいですね。最大の象徴的事業は、日本橋をまたぎ、景観を破壊している高速道路の地中化でしょうが、なんとか実現させたいものです。