はじめまして、みのりです。
今年は佃、住吉神社の本祭りですが、
佃ゆかりの五世川柳水谷緑亭句碑が住吉神社の境内にあります。
この住吉神社と五世川柳水谷緑亭句碑のご紹介をさせていただきます。
句碑は昭和41年「1966」に佃の人々が建立したものです。
住吉神社(中央区佃1-1-14)
<祭神>底筒之男命 中筒之男命 表筒之男命 (住吉三神)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后のこと
東照御親命(あずまてるみおやのみこと) 徳川家康公のこと
<摂社>龍神社・疫神社・疱瘡神社・入船神社・船魂神社・稲荷社
(住吉神社の掲示板より)
<沿革>
摂津の佃村(大阪市西淀川区佃田)の漁者は、徳川家康が住吉神社などに参詣した際、
神崎川を渡して以来の縁故があり、慶長十七年(1612)頃、江戸に迎えられ、
はじめは小網町の安藤対馬守の蔵屋敷内に居住し、そこに故郷の氏神住吉神を勧請し、後、
佃島の地を交付されてこれを造成し、正保三年(1646)島の現在地に社殿を建てて遷座した。
元禄十二年(1699)古跡地(寛永八年・1631以前建立の社寺)に編入され、
神職は津守氏(後に平岡氏と改名)が世襲した。当社は佃島の氏神であるばかりでなく、
社前が諸国の廻船の湊であった関係から、対岸の鉄砲洲稲荷社と同様に、海運業者の信仰厚く、
関連の諸問屋にも信奉された。宝永二年(1705)江戸下り酒支配仲間が住吉講を結成して、
毎年正月と九月に庭神楽の奉納を取決め、天保十四年(1843)鰹節問屋の小舟町組が
毎年四月、鰹釣の神楽を奉納することとしたのもその表れである。
(『中央区の文化財(四)』有形民俗文化財―信仰― 発行 中央区教育委員会より)
五世川柳水谷緑亭句碑(中央区佃1-1-14)
水谷緑亭(1787~1858)は、南茅場町「現在の日本橋茅場町」に生まれました。
幼い頃父を亡くして佃嶋の漁師太平次に貰われ、佃島の名主をつとめたと伝えられています。
(住吉神社境内の中央区教育委員会の掲示板より)