千代田区は江戸城が「千代田城」とよばれたことから、麹町区と神田区が統合して昭和22年(1947)3月に発足したという。「千代田」とは「千代」非常に長い年月、千年もつづく「御田」、だから永劫吉祥を意することで、中央区内にも「千代田」を付した場所がある。
まずは、「千代田神社」が日本橋小伝馬町に鎮座している。掲出の由来によれば「長禄年間(1457-1459)神霊に依り、太田持資道灌が御霊を千代田の御城に祭り鎮守とす。徳川綱吉の時、太田の旧臣長野亦四郎氏詞を奉じて小傳馬町に遷座す(以下略)」とある(写真上)。
永代通りの兜町と日本橋間の楓川跡に「千代田橋」の遺構が残っている。関東大震災後の復興橋梁で昭和初期に架けられた。千代田という橋名の由来は不明だが、永代通りを西に向かった先には江戸城大手門跡に突き当たる(写真下)。
両国橋西側の矢ノ倉町には「千代田小学校」があった。現在の日本橋中学校の場所である。千代田小学校は明治9年(1876)の開校で、関東大震災で焼失して再建された復興小学校であった。昭和5年(1930)には昭和天皇が震災復興で臨幸したことで知られている。
「千代田」の語彙は普通名詞であることから、中央区内でもめでたい名称として一般に使われたのであろうか。@巻渕彰