食文化にも深いこだわりを示した谷崎の目からすると、永い伝統を有する関西の食文化に比べて、「東京名物」と言っても、塩せんべい、海苔、雀焼、たたみイワシなど、「なんと不思議に寒気のするような、あじきない物が多い」のであって、「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物(雀焼)」、「薄っぺらな、名も知れぬ雑魚を寄せ集めたやうなもの(たたみイワシ)」でしかない。
「上等な干菓子や生菓子があっての上なら兎も角も、羊羹一つ碌なものがなくて、塩煎餅が名物とはあんまり野蛮ではないか。尤もモナカや田舎饅頭にはいくらかうまいものがあるが、孰れにしても粗野で、貧弱で、殺風景なものばかりである」。
「元来オツなものと云われるような、ヒネクレた名物は東京に限ったことではない。・・・ところが東京では正式の料理に使ふ材料に何一つとしてうまいものがなく、仕方がなしにそう云ふ変なヒネクレたものを漁るのである。」
「私は実はそのオツと云う言葉を聞くと、一種のうすら寒い身ぶるひを感じ、その陰に隠されてゐる東京人の薄ッぺらさを考へて何とも云へず悲しくなる。」
関西人にとっては小気味よいものの、こんなに東京を罵倒してもよいのかと思うほど。
そして、谷崎は次のように云う。
「此の東京人の衣食住に纏はる変な淋しさは何処から来るのかと思ってみるのに、結局それは、東北人の影響ではないのか。・・・・・・東京の人は政治の中心に住んでゐるから、そこを地理的にも人文的にも日本の中心だと考へ易いが、しかしたまたま関西から出かけてみると、何となく東京が東北の玄関のやうに見え、此処から東北が始まるのだと云ふ感が深い。・・・・・・
斯く東京を「東北地方に属するもの」として見る時、昔は「鳥が啼く東」と云った夷が住んでいた荒蕪の土地が権現様の御入府に依って政治的に、と云うのはつまり人為的に、繁華な町にさせられたものであると見る時、始めて今戸の煎餅や千住の鮒の雀焼や浅草海苔やタヽミイワシが名物であると云う理由が分る。」
ただし、サイデンステッカーさんは、「『私の見た大阪及び大阪人について』を読むと、先生はしきりに、東京はだめだだめだと言い、大阪文化を持ち上げています。でもそれは、一種の文学的ポーズだったように思えます。先生は敢えて『反江戸っ子』というイメージを作っていたのです。」(「反江戸っ子の本音」ランティエ叢書『谷崎潤一郎東西味くらべ』、解説)と言う。