西山松之助氏は、「江戸ッ子という人たちは、単純な階層による単純な構造をもつ特定の存在ではなく、二重構造をもっているということである」として、
「主として化政期以降に出現してきた『おらぁ江戸ッ子だ』と江戸っ子ぶる江戸っ子」(自称江戸っ子)と、そうではなくて「日本橋の魚河岸の大旦那たち、蔵前の札差、木場の材木商の旦那たち、霊岸島や新川界隈の酒問屋とか荷受商人というような、元禄以前ごろから江戸に住みついて、江戸で成長してきた大町人ならびに諸職人たち」(本格的江戸っ子)とに分けられる(西山松之助『江戸ッ子』吉川弘文館、1980年;9)という。
そして、西山氏は、「劣等感の裏返しと考えられるような優越感に独りよがりを楽しんでいたような、"自称江戸ッ子"だけではなく、もっと高度な文化を持った豊かな人たちもいたという、二重構造をもった江戸ッ子の全体像を明確に論じたい」という。(10)
この西山氏の『江戸ッ子』という著書は、「長い間の通説を打破した画期的な成果」(竹内誠)とも評されている。
西山氏の「江戸ッ子の二重構造」論は、池田弥三郎氏の以下の論と同旨のものと云ってよいだろう。
>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88)