どこかで聞いたような台詞ですが、
時は「明治」、 小林清親作の一枚 『海運橋 第一銀行(雪中)』 です。
思い描いてみて下さい。
ある雪の日、橋に向かって歩く女性の後ろ姿。
赤い帯に番傘をさして、その傘には銀座・岸田の文字。
女性の右手には、柳の木。
そして橋の向こう左手奥には和洋折衷の立派な建築物、あの初代「第一国立銀行」が。
ちなみに、上記の第一国立銀行は、
清水組二代清水喜助の設計施工による木骨石造、擬洋風建築の最高峰といわれています。
また、岸田の文字は岸田吟香の楽善堂(目薬の精錡水)ではないでしょうか?
しかし、今日の主役、実はこの錦絵の「橋」 なんです。
とは言うものの、平成の現在、この「海運橋」はもうありませんし、
下を流れる楓川(もみじがわ)も、残念ながら昭和37年に埋め立てられてしまい
ただ親柱が2基残されているだけなのです。
昭和通から兜町に入ると、地下はパーキング、地上は高速道路。
そんな道の端にある広場と呼ぶにはあまりにも小さな空間に「かいうんはし」と刻まれた
石橋の親柱がひっそりと時を経て存在しているのです。
右に目を向けると、木々に埋もれたもう一基。
かろうじて読めるのは「紀元」「五年」「海」。 (= 紀元二千五百三十五年六月造 海運橋)
細い道路の向こうには、当時の場所に、姿は変われど銀行が・・・。
宝くじ売り場の壁には、楓川時代の地図があり、
左へ左へと、その銀行の建築物の歴史を読むことができます。
その先へ歩を進めると、
突きあたりに「日証館」(明治のころは渋沢栄一邸)、左隣は「兜神社」です。
右方向へ歩けば、「鎧橋」(明治5年までは「鎧の渡し」でした)を渡れます。
鎧橋を渡った左手には案内板を見つけられます。
東京で最初のカフェーとされる「メイゾン鴻の巣」)
今日の一枚!から、話は流れ流れてきましたが
昔を懐かしんで(?)、散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。