今年、三年に一度の本祭が行われる住吉神社のある佃島。
佃小橋の上から佃掘を眺めると、下記注意書きが目に入ります。
『此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講』
三年に一度の本祭で立てられる、広重が描いたような大幟の「柱」とそれを支える「抱木(だき)」が、水中にタイムカプセルのように埋められているという。
ここ佃島に来てこの注意書きを見る度に
「水中に埋めてしまって木は腐らないのか?」
とか
「今までは大丈夫だったけど今年は腐ってしまって無くなっていた、ということはないのか?」
とか思ってしまいます。
ということで三年に一回しかないこの柱と抱木の掘出しの作業。ちょっと興味があったので見てきました(7月5日(日))。
当日はあいにくの雨模様となりました。
この掘り起こし、まずは埋められている木が見えてくるまで泥を掘る作業からとなりますが、泥に足を取られたりと見ているだけでもかなりハードな作業とわかります。
すると次第に埋められた木が現れ始め、それを取り出す作業に移っていきます。
木の取り出しはクレーンを使います。いったん堀の水で泥を落としたあと、橋上に吊り上げます。
それが何度も繰り返されます。
一方、柱を立てる穴堀の作業が別で行われます。大幟は六本あり、六ヶ所で立てられますが、一か所につき三つの穴があけられる場所があらかじめ用意されています。
その穴をひたすら掘り進めます。
抱木のパーツとなる木が取り出された後、6本の柱の取り出し作業となりました。長さは20m近くあるといいます。
若い衆がその柱を運んでいきます。
この伝統的作業、引き継いでいくためには三年に一回という間隔はちょうどよいのかもしれません。
そして最後に、大幟を立てるための抱木が組み立てられました。
とうことで今回も無事、埋められた木が掘出され、大幟を立てる準備が整いました。
いろいろ調べてみると、木が腐るためには酸素が必要で、水の中に木を埋めるのは酸素に触れさせないという理屈らしい。
昔の人はこんな理屈は知らなかったと思いますが、経験からごく当たり前の知識だったのかもしれません。
月島の西仲通り(もんじゃ通り)を勝どきの方にずっと歩いていくと「西仲橋」という橋があるのですが、この橋は昨年架け替えられました。
先代の橋の下には何十本もの松杭が埋め込まれ、地盤を強固にし橋を支えていたそうです。
架け替えの際にその松杭が腐ることなく掘出され、今はこの橋の脇に展示されていたり、木のベンチとして再利用されています。
おとなり千代田区丸の内の、先代の「丸ビル」の下には何千本、「東京駅」の駅舎の下にも1万本以上の松杭が基礎固めとして使用されていたという話はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。あの厳島神社の鳥居の下にも木杭が打たれているのだとか。
この松杭の話といい、住吉神社の大幟の柱の話といい、「木の力」そして「先人の知恵」には頭が下がります。
最近、東日本大震災で液状化が問題になりましたが、「木の力」を見直し、使用使途の無い「間伐材」を使用して杭として地中に埋め込み、液状化対策として使われはじめているのだそうです。
さて、住吉神社の本祭ですが、このあと26日にいよいよ大幟が立てられお祭りムードが高まってくると思います。
私自身、まだ大幟を見たことがないので非常に楽しみにしてます。