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断腸亭日乗(清洲橋)

[CAM] 2015年9月24日 18:00

 荷風は、昭和21927)年44日、建設中の「清洲橋」について記している。

  

「中州河岸より深川清住町に渡るべき鉄橋の工事半成れるを見る。浜町の方へも新橋架設せられ道路取りひろげられたり。往時中州の河岸には酒亭軒を連ね又女橋のほとりには真砂座という小芝居あり、その横手の路地には矢場銘酒屋あり、白昼も怪しげなる女行人の袖を引きたり、震災後今日に至りては真砂座の跡もいづこなりしや尋ね難くなりぬ、新設の橋を渡り新大橋のこなたにて電車に乗り尾張町太牙に憩ふ。此日朝より曇りしが雨降り出でゝ風も亦加りたり。」

  

 清洲橋は、関東大震災(192391日)の復興事業として、大正141925)年3月から工事が開始され、昭和31928)年3月に完成した。荷風は、昭和31928)年4月25日には、完成した清洲橋を見たことを記している。

  

「・・・倶に京橋に出で中州病院に赴きて薬を請ふ。茅場町より水天宮のあたり砂塵濛々として渦巻くが中に泥まみれの自動車列を乱して右方左方に馳せちがふさま、日々目に馴れたるものなれど、東京の市街はなにとてかくは醜きやと今更の如く驚嘆せざるを得ざるなり。是日中州河岸より深川にわたる新鉄橋既に工事落成せるを見たり、・・・」

 

 なお、47日に述べられている「太牙」とは、「タイガー」のことで、尾張町(銀座4丁目)の交差点のところにあった銀座の代表的なカフェーである。タイガーが出来たのは大正13年。一時は女給が200人もいたほどの大型店。菊池寛が多数の友人や文藝春秋の社員を連れてきては、さかんにビールを飲んだ。「銀座行進曲」(昭和3年)には、「タイガー女給さん文士が好きでライオンウェイトレスレディ気取り」とある。「ライオン」も尾張町(銀座4丁目)の交差点のところにあった銀座のカフェーで、開店は明治44年、築地精養軒の経営であった。カフェーとは、本来は喫茶店であるはずであったが、その頃のカフェーの性格は純然たるバーであった。(川本三郎『荷風と東京』:307

  

 現在の清洲橋(2015年9月23日撮影)

 

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