四方の風です。
盛夏の中、まち歩きツアー'朝日新聞社見学'を記事にして以来久しぶりに投稿します。
9月、特派員さんがいくつか書かれている'浜離宮恩賜庭園'を話題にします。
中央区の歴史は紐解くときは、徳川家康の江戸入府後の徳川時代270年を抜きにはできません。
浜離宮も初めは、五代将軍綱吉の兄弟である甲府宰相松平綱重の屋敷であったものが、綱吉に
継嗣がなく、綱重が先に亡くなったことからその子の綱豊が六代将軍となり(名も改め家宣)となり
屋敷から御殿に呼称も昇格しました。庭園とはいえ鷹狩に利用され、十一代家斉十二代家慶親子は
幾たびも狩りを行っていたそうです。
約500m四方(おおよそ76000坪)の敷地は江戸から明治大正昭和そして平成となり公園と
なりました。その間には自然災害にあったり、魚市場に変わる危機もあったそうですが、現在は
区の重要な文化財のひとつであり、国の特別な史跡でもあります。
(住所表示もズバリ中央区浜離宮庭園1番1号)
四季を通じて花を観賞でき、海水を引き入れた池をもつ平和な庭園です。
ところが、江戸幕府の海軍基地であった時もあるそうです。そのことを、最近気づかされました。
先日、NPO法人水都東京を創る会主催で'日本橋川から隅田川朝潮運河そして亀島川を巡るクルー
ジングに参加しました。荒川から分岐した隅田川は築地市場よこで終わります。そこからは東京湾になります。
竹芝桟橋との数百メートルは堤防が続き、その内側に浜離宮はあります。船の出入りは築地川水門になり
警笛を鳴らして安全を知らせるのは風情があります。水上バスも通ってはいますが、船着場が築地よりあり
海に沿った石垣を充分にみることはありません。今回、船は取り舵をとり入り江の左を進み(庭園の富士見山
方向)石垣をよくみることができました。
江戸惣構えといいます。庭園の地上の石垣も庭囲いに似合わないものですが、城郭としての意味も
あったのではないでしょうか?
視点が変わると新しいものが見えてきます。旧さと新しさが共存する中央区をこれからもいろいろな
角度から見ていき、紹介できればと思います。