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2015「まち歩きツアー」 老舗めぐり① (第2回)

[サム] 2015年10月 9日 18:00

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 今年度の中央区観光協会主催「まち歩き」ツアーもいよいよ後半。

今回は10月2日に開催された「産業コース 老舗めぐり①」の様子をご紹介します。

当該コースは、「カステラの文明堂」「刃物の木屋」「山本海苔店本店」を訪ね、お店の歴史や商品の話を伺い、伝統を継承する商いのこころに触れていただく、約2時間の小ツアー。

 

R0035339 (2)RRSGS.jpg1店目は 文明堂東京 日本橋本店 さん

明治33年(1900年)、長崎で中川安三郎が創業。

カステラの歴史、カステラのできるまで、懐かしのCM、会社の沿革等々の話を伺う。

現在全国に、発祥を同じくする7法人を有し、各地域に密着した生産・販売システムを基本としたグループ会社として、相互協力体制をとっている由。

こだわりは、吟味された素材と熟練職人の技による菓子づくり。例えば、「特撰五三カステラ」は、卵黄を3割増量し、超薄力粉・徳島産和三盆糖・英国産コッツウォルドハニーといった厳選素材を用い、熟練の職人が焼き上げるといった具合。

尚 "五三" カステラとは、カステラの風味を更にコク深く、馥郁と仕上げた極上品で、その名の由来は、使用する卵黄と卵白の割合が5:3であったことに因むという説の他、大切な贈り物として桐箱に納めて贈ることから、桐の家紋 "五三の桐" に因むという説、当初は5つの味(全ての味)を凌駕するほど美味な極上のカステラとして生まれた "五味(ごみ)焼" カステラが、語呂が悪いからか、後に、"五三(ごさん)焼" カステラと呼ばれるようになったいう具合に諸説あるようです。

 

R0035370R'RRSGS.jpg2店目は 日本橋木屋本店 さん

寛政4年(1792年)、初代加藤伊助が奉公先の木屋本店から「暖簾わけ」を許され独立し、打物問屋創業。

先ずは店頭に飾ってある2011年10月27日付日本経済新聞紙面(見開き全面広告)に掲載されている、「熈代勝覧」絵巻の説明から。

文化2年頃の江戸の日本橋から今川橋までの大通り(現在の中央通り)を東側から俯瞰描写した作品で、沿道の88軒の問屋や店の中に、普請中の本店を含め4軒の木屋が描かれており、一番右寄り(北側)の木屋には現在の刃物の木屋で使用している商標と同じ井筒木の紋入りの暖簾が視認されます。

次いで、屋号「木屋」発祥の由来、刃物の木屋沿革、伝統技法の継承と新技術の導入(オーストリア製ステンレス鋼を採用した「エーデルワイス包丁」、粉末製鋼法を採用した「コスミック團十郎」包丁)等々の話に加え、包丁・まな板の素材(各々 鋼/ステンレス鋼/粉末合金鋼、木/プラスティック/ゴム)選びについてもレクチャーいただきました。

店の奥に2014年秋新設された、日本の伝統伝承技術発信の場「izutuki スペース」では、現在「博多水引 長澤宏美 作品展」が開催中です。

 

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3店目は 山本海苔店 日本橋本店さん

嘉永2年(1849年)、初代山本徳治郎が現在地で創業。

お店の奥には旧社屋で使われていた金文字の看板が。

先ずは昭和40年竣工の本店現社屋に施された意匠(ビル外壁面の校倉造りのデザイン、奥壁面の海苔の雄性細胞を図案化した信楽焼のタイル、海苔船の帆・船底をイメージした天井部分)や置物(昔海苔を保管していた「囲い甕」、「海苔船」の模型 )の説明から。

次いで、会社の沿革、味付け海苔の創案、海苔の旬、海苔の産地、養殖方法(支柱式、浮き流し式)、「まるうめ」マークの由来、海苔の保存の仕方、女優の山本陽子さんとの専属モデル契約年数世界最高(1967~)ギネス記録認定の逸話等々を伺いました。

その昔、海苔の生活史が解明される以前は、タネ付け作業はカンや経験を頼りに行なわれており、生産高は不安定で、相場品として「運草」と呼ばれていたこともあったようです。

 

文明堂東京 日本橋本店 星野店長、日本橋木屋本店 金子店長、山本海苔店 日本橋本店 川田店長、お忙しい中、貴重なお話有難うございました。