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銀座のカフェー

[CAM] 2015年10月16日 18:00

「ものしり百科」では、「震災復興事業により賑わいを取り戻した銀座」として、

 

>明治43年(1910)、日本橋区小網町に東京で最初のカフェー「メイゾン鴻乃巣」が開業した。翌年3月には銀座初のカフェー「カフェー・プランタン」がオープンし、・・・同年8月には、現在の銀座5丁目角に3階建ての「カフェー・ライオン」が開店した。・・・・・大正期に入ると、「カフェー・ライオン」の成功が呼び水となり、銀座煉瓦街にはカフェーの開店が相次ぐ。そして銀座は、大正ロマンの香り漂う、華やかな時代を迎えていく。

 

と述べられている。(122頁)

 

 荷風も盛んにカフェーに足を踏み入れており、大正151926)年1120日の日乗では、当時のカフェーの様子を詳しく述べて、「太牙は震災の翌年春頃より開店し、尾張町の獅子閣と相対して今やその繁栄遥に優るといふ。銀座通にはこの他に松月、銀武羅など呼べる酒肆あり」と述べる。

 

 荷風も述べているように、開店は「カフェー・ライオン」(獅子閣)が早く明治44年、築地精養軒の経営であった。タイガーはそれを追って大正13(1924)年に出来た。

 

 荷風は、大正末頃から昭和の始め、特にこの「カフェー・タイガー」(太牙)に足繁く通っている。昭和21927)年928日には、カフェー・タイガーの女給お久に130円という慰謝料?を払ったりしている。

 

 タイガーは、一時は女給が200人もいたほどの大型店。菊池寛が多数の友人や文藝春秋の社員を連れてきては、さかんにビールを飲んだ。「銀座行進曲」(昭和3年)には、「タイガー女給さん文士が好きでライオンウェイトレスレディ気取り」とある。

 

 「カフェー・タイガー」(Wikipedia からコピー)

  Cafe_Tiger[1].jpg

  カフェーとは、本来は喫茶店であるはずであったが、その頃のカフェーの性格は純然たるバーであった。