「ものしり百科」で、「震災復興事業により賑わいを取り戻した銀座」として、「明治43年(1910)、日本橋区小網町に東京で最初のカフェー「メイゾン鴻乃巣」が開業した。翌年3月には銀座初のカフェー「カフェー・プランタン」がオープンし、・・・同年8月には、現在の銀座5丁目角に3階建ての「カフェー・ライオン」が開店した。・・・・・大正期に入ると、「カフェー・ライオン」の成功が呼び水となり、銀座煉瓦街にはカフェーの開店が相次ぐ。そして銀座は、大正ロマンの香り漂う、華やかな時代を迎えていく。」と述べられている(122頁)ように、「銀座初のカフェー」は、「カフェー・プランタン」であった。
「カフェー・プランタン」は、東京美術学校出身の松山省三が開いたもので、東京都京橋区日吉町20番地(現中央区銀座8丁目6番24号、銀座会館付近)。相談役であった小山内薫が命名した。
昭和初め頃には、もっぱら女級の接待をウリにする風俗営業になってしまうが、それまでのカフェーは、レストラン、バー、喫茶店を兼ねるような存在であった。
「メイゾン鴻乃巣」などは西洋料理店に近かったが、「カフェー・プランタン」では、コーヒーと洋酒を揃え、料理はソーセージ、マカロニグラタンなど珍しいメニューを出した。後に焼きサンドイッチも名物になった。
「カフェー・プランタン」の店内 (wikipediaからコピー、public domain 確認済)