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「まるごとミュージアム」 バスルート右回り(5)

[CAM] 2015年10月31日 14:00

 今日(2015年10月27日)は、茅場橋から出発。(以下、写真は全て2015年10月27日撮影)

 

 茅場橋から少し行くと、永代通りとの交差点。右に「COREDO日本橋」も見えます。

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 新大橋通りをさらに進むと、左側歩行路に「地図御用所跡」の説明版掲示もあります(日本橋茅場町2丁目12番付近)。

 「地図御用所」は、実測による初めての日本全図を作製したことで知られる伊能忠敬(1745-1818)の住居に設けられていました。
 伊能忠敬は、寛政12年(1800)からは本格的に日本全国の測量をはじめ、以降17年間にわたって日本全国の沿岸を測量し、その総距離は約4万kmにも及んだといいます。
 文化11年(1814)、九州地方の測量から帰った忠敬は、八丁堀亀島町と呼ばれていた現在地付近へ転居しました。この屋敷の敷地は150坪ほどでしたが、忠敬の居住地としてだけではなく、測量図を作成するための地図御用所として利用されていました。
 忠敬は地図が完成する前の文政元年(1818)に亀島町の居宅で死去してしまいましたが、その後も忠敬の居宅は地図御用所として使用され、文政4年(1821)門弟や天文方の下役らの手により「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」が完成しました。

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さらに進むと、八重洲通りとの交差点へ。

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 此の交差点の左先には亀島橋があり、その際には「堀部安兵衛武庸之碑」もあります(ものしり百科;55頁)。亀島橋の下にはまだ亀島川が残っており、数少なくなった現役の橋で、平成14(2002)年に架け替えられたものです(ものしり百科;56頁)。リバーシティ21の高層マンション群も遠望できます。

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 さらに「新大橋通り」を進むと、左側に「桜川公園」入口が見えます。江戸時代に八丁堀と呼ばれていた堀割が、明治になって桜川と改称されました。それが昭和の中頃に埋め立てられた跡の一部を使ってつくられたのが桜川公園です。

IMG_2043.JPG 入船橋から、中央区役所、銀座ブロッサム等を臨むと、この下が川であったことは明白です。

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