新川2丁目の永代橋西詰に「船員教育発祥の地」の記念碑が建っています。今から140年前の明治8年(1875年)11月1日、東京商船学校(現、東京海洋大学海洋工学部)の前身である三菱商船学校が設立された場所です。
当時、250年余り続いた鎖国により日本の海運業は立ち遅れ、主な外航船の運航は外国人船員に頼っていました。近代国家としての体裁を整えるためにも、明治新政府は、日本人による国際航路の運航を急務と考え、内務大臣大久保利通の命令により、三菱財閥の岩崎彌太郎に命じ、霊岸島(現在の新川)傍の大川に係留した帆船・成妙丸を校舎・練習船として、本格的な高等船員教育が始まったのでした。
【「校船 成妙丸(明治8年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供】
霊岸島で設立された三菱商船学校は、その後官立に移管されて東京商船学校となり、現在は隅田川を挟んで反対側の江東区越中島の東京海洋大学海洋工学部に引き継がれています。
【「商船学校 霊岸島校舎(明治27年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供】
大久保利通は、岩崎彌太郎に命じて商船学校を作らせましたが、土佐藩のビジネスを引き継いだ九十九商会(1870年設立)を源流とする三菱蒸気船会社の本社が日本橋南茅場町に置かれていた(明治7年)ことや、同社が東京⇔大阪、高知⇔神戸航路などで蒸気船運送を行っていた(三菱蒸気船会社は、明治18年に三井系国策会社の共同運輸会社と合併して日本郵船となる)ことなどから、海運のプロとしての岩崎彌太郎に白羽の矢が立ったということでしょうか。
永代橋から新川公園、中央大橋、石川島公園を歩いていくと相生橋に突き当たります。橋を渡った江東区の越中島に東京海洋大学百周年記念資料館があります。こちらでは常設展示(船のエンジン、船模型、信号用手旗、ロープワーク他)があるほか、明治丸の甲板にも上ることができます。写真はご案内頂いた記念資料館ボランティアで東京商船大学OBの森さんです。
なお、記念資料館では特別展として11月30日までの期間「船が開く明治~商船教育140年記念展示~ 人が船を育て、船が人を育てた」を開催中です。文中掲載の三菱商船学校関係の写真は同展示で期間限定公開されているもので、東京海洋大学百周年記念資料館さんのご好意により提供頂きました。
記念史料館は江東区・越中島にありますが、対岸の霊岸島(現、中央区新川)に設立された三菱商船学校の歴史を知る良い機会です。永代橋西詰の「船員教育発祥の地記念碑」から中央区のウォーターフロントの歴史に思いを馳せながら足を伸ばしてみたら如何でしょうか。
【船員教育発祥の地記念碑】
所在地: 中央区新川1-30先(永代橋西詰・永代通り南側歩道)
(日比谷線・東西線茅場町下車徒歩5分)
【東京海洋大学海洋工学部百周年記念資料館】
〒135-8533 江東区越中島2-1-6 東京海洋大学越中島地区キャンパス 百周年記念資料館
(地下鉄有楽町線・大江戸線月島駅から徒歩約10分)
開館時間:1000~1500 (火・木/第1・3土のみ開館)
入館料:無料
TEL;03-5245-7360(明治丸海事ミュージアム)