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鎧橋

[CAM] 2015年11月11日 08:00

 

「鎧橋」際の掲示板には、谷崎潤一郎の『幼少時代』が引用されています。この引用された部分の前後で周辺の風景がよく描写されていると思うので、挙げておきます。

         

 鎧橋は、その頃市中にそう多くはない鉄橋の一つで、まだ新大橋や永代橋などは古い木橋のままであったように思う。私は往き復りに橋の途中で立ち止まって、日本橋川の水の流れを眺めるのが常であったが、鉄の欄干に顔を押しつけて橋の下に現れて来る水の面を視詰めていると、水が流れて行くのでなく、橋が動いていくように見えた。私はまた、茅場町の方から渡って、上流の兜町の岸にある渋沢邸のお伽噺のような建物を、いつも不思議な心持で飽かず見入ったものであった。今はあすこに日証ビルディングが建っているが、もとはあの川の縁の出っ鼻に、ぴったりと石崖に接して、ヴェニス風の廊や柱のあるゴシック式の殿堂が水に臨んで建っていた。明治中期の東京のまん中に、ああいう異国の古典趣味の邸宅を築いたのは誰の思いつきだったのであろうか。対岸の小網町河岸には土蔵の白壁が幾棟となく並んでい、あの出っ鼻をちょっと曲れば直ぐ江戸橋や日本橋であるのに、あの一廓だけが石板刷の西洋風景画のように日本離れのした空気をただよわしていた。だがそれでいて、周囲の水だの街だのと必ずしも不釣合ではなく、前の流れを往き来する荷足船や伝馬船や達磨船などが、ゴンドラと同じように調和していたのは妙であった。(73)                      

 

 鎧橋は明治5年(1872)年に架橋。明治21年(1888)には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、昭和32年(1957)に現在の橋に架け替えられた(ものしり百科;26頁)。 
 
 谷崎潤一郎は、明治19年(1886)7月24日 -昭和40年 (1965)7月30日。 「幼少時代」の筆を執ったのは、昭和30年(1955)、数え年70歳のときであった。

 

 

日本橋川の船上から見た鎧橋

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