先日の「まるごとミュージアム」で、バスルートのガイドを勤めた際、「古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だった」と話したら、「本当ですか?」と問われました。
この点については、以前に投稿したのですが、あらためて投稿しておきます。
池田弥三郎氏は、以下のように述べておられる。
>歴史的には、江戸っ子とは、もし、将軍のおひざもとの江戸の町の出生者ということになれば、今の中央区の、旧日本橋、京橋区内の人々が、その中心をなしていて、ごく古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だ。しかし、時代とともに、芝で生まれて神田で育った者も、江戸っ子となって来たし、川向うの本所深川も、江戸の中にはいってきた。(『日本橋私記』88)
>元来の江戸っ子とは、今の中央区の中の、旧日本橋区、京橋区の主として商家に働く人々のことであったはずであり、最狭義では、「擬宝珠と擬宝珠との間」の地に生まれ育った者になるかもしれない。その後、徐々に、神田、芝、本所深川に生まれ住んだ人間まで含まれるようになってきたのである。
>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88)
池田弥三郎(1914-1982)。東京都京橋区銀座に誕生。京橋区立泰明小学校、慶應義塾大学文学部国文科卒。NHKのTV番組に出演、タレント教授のはしりとしても知られた。