こんにちは、みのりです
今回は福徳神社「芽吹神社」のお話です。
福徳神社はコレド室町のそばにあります。
福徳神社は平安時代前期、清和天皇の時代貞観年間(859-876)には既に鎮座していたようです。
武蔵野の村落だった福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって福徳神社とした。
初代将軍徳川家康は、江戸に入府した天正18年(1590)8月に初めて当社に参詣し、
その後も数度に渡って参詣しています。
さらに、二代将軍徳川秀忠は、慶長19年(1614)正月8日に参詣の折、
「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛。
この時、福徳神社の古例である黒木(クヌギ)の皮付き鳥居に春の若芽の萌え出たのを見て、
神社の別名を「芽吹稲荷」と名付けた。
元和5年(1619)2月に江戸城の弁財官を合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、
大和錦の幟を奉納し、さらには「社寺縄張を三百三十三坪余り」と定めた。
江戸時代に「御免富」として幕府から富くじが公認されていたので人気がありました。
今もこの神社は、宝くじのご利益があると多くの人がお参りに来ます。
お祭りは2月の初午と5月の例大祭です。
平成26年秋(2014)日本橋の地域諸氏の尽力により社殿が再興されました。
コレド室町の北側に福徳神社があります。手前に社務所があります。
参拝前に手を清める手水舎は人が近づくと水が流れるセンサーがついています。
福徳神社『芽吹神社』御祭神・御由緒「福徳神社社務所」と福徳神社境内の福徳神社由緒書(石碑)
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「歩いてわかる中央区ものしり百科」
交通ジャーナル「一般社団法人東京都交通安全協会」を参照しました。