女子学院発祥の地(明石町10)
「ジュリア・カロゾルスが1870年、
築地居留地6番にA 六番女学校を創設、
米国長老教会に所属した。
1999年10月24日 学校法人 女子学院 」
立教学院発祥の地(明石町10)
「1874C.M.ウィリアムズ主教立教学校を開く
すべての人に仕える者になりなさい聖マルコによる福音書 第9章35節
創立125年を記念してこの碑を建立する
1999年12月2日 ウィリアムズ主教記念日
立教学院 」
蘭学事始地碑(明石町11先)
「明和8年(1771)、豊前国(大分県)中津藩医の前野良沢が杉田玄白らと共に、オランダ解剖書「ターヘル・アナトミア」を築地鉄砲洲にあった中津藩奥平家下屋敷内(のちの明石町の地)で翻訳し「解体新書」が完成しました。
当時の翻訳の様子は、玄白の著書「蘭学事始」に記されており、この地は近代医学発祥の基礎を築いた場所といえます。
中央区教育委員会 」
慶應義塾発祥の地(明石町11先)
「安政5年福沢諭吉この地に学塾を開く。
創立百年を記念して昭和33年慶応義塾これを建つ
慶応義塾の起源は1858年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来する。その場所はこれより北東聖路加国際病院の構内に当たる。この地はまた1771年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるところで、日本近代文化発祥の地として記念すべき場所である。
1958年4月23日除幕」
聖路加国際病院(聖ルカ礼拝堂とトイスラー記念館)
「昭和8年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師館 として建設されました。
設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィーで、施行は清水組(現在の清水建 設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリ ート造り一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でし た。
平成元年に解体工事が行われ、平成10年2月に現在地へと移築復元されました。復元に あたり、創建当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる 限り用いています。
外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンバー風の意匠です。室内はチューダー ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装がみられます。
この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれ てきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。
平成18年3月 中央区教育委員会 」