明治屋京橋ビル(区指定有形文化財・建造物) 京橋2-2-8
(以下、写真は11月24日撮影)
>明治屋京橋ビルは、昭和8(1933)年3月、株式会社明治屋の事務所と店舗を兼ねた本社社屋として建設されました。当ビルは、戦前期に日本で最大規模かつ最良の設計組織と称された曾禰中條建築事務所が設計した鉄骨鉄筋コンクリート造(地上8階・地下2階)のオフィスビルです。
イタリア・ルネサンス様式による秀逸な建築デザインとともに、昭和初期の高度な建築技術を反映させた貴重な近代建築です。特に当ビルは、曾禰達蔵が手掛けた希少な現存作品で、虚飾を排しつつも繊細かつ華麗な装飾が随所に表現されています。
また、民間建物では初めて建物地階部分と地下鉄駅とを連結させるように計画して造られており、地下鉄駅と一体化して建設された現存最古のビルとして、歴史的にも文化的にも価値のある建物となっています。
東京大空襲や周辺の環境の変化を乗り越えて今日まで保存されてきた明治屋京橋ビルは、昭和史を語り継ぐ貴重な文化財であるとともに、近代建築史上重要な建造物といえます。
(中央区指定文化財サイトから)
骨董通り
>1872(明治5)年、新橋~横浜間を鉄道が走るようになり、地方の人でも東京まで楽に移動できるようになりました。しかしながら、新橋から日本橋までの主要交通機関はなく、当時から往来の賑やかな通りだったようです。
戦前この地域に進出した企業等の応接室等に飾る古美術や骨董等のニーズが高まり、京橋1丁目から日本橋3丁目辺りまで、多くの古美術店等が店を開き、現在では全体で約150店が集中するまでになりました。
特に京橋1・2丁目の通りは「骨董通り」と呼ばれ美術商や愛好家達が集まっています。春と秋に開催される骨董まつりでは、これらの、民芸、中国陶器、古美術品、ギャラリー等の店が、この機会に、一般のお客様にもっと気軽に入店してもらおうと、開放的な雰囲気で、それぞれの趣向を凝らします。(観光協会サイトから)
歌川(安藤)広重住居跡(京橋1-9)
浮世絵師安藤(歌川)広重(1797~1858)が、嘉永二年(1849)から死去までのおよそ十年間を過ごした住居跡です。
広重は、幕府の定火消同心安藤源右衛門の長男として、八重洲河岸(千代田区丸の内二丁目)に生まれ、家職のかたわらで歌川豊広の門人となりました。「東海道五拾三次」以来、風景画家として著名になり、江戸についても、「東都名所」、「江戸近郊八景之図」、「名所江戸百景」等を遺しています。特に、「名所江戸百景」はこの地での代表作です。
住居は、幕府の奥絵師(御用絵師)狩野四家のうち、中橋狩野屋敷の裏門外にあり、二階建ての独立家屋であったといいます。
平成七年三月
中央区教育委員会
ブリヂストン美術館 (工事中)
>ブリヂストン美術館では、印象派と20世紀絵画を中心とする西洋の近現代美術、
および明治以降の日本の洋画を収蔵しています。
1952年、株式会社ブリヂストンの創業者石橋正二郎は、新築のブリヂストンビルに美術館を開設し、自らのコレクションを公開しました。
1956年 に財団法人石橋財団が設立、1961年には正二郎所蔵の美術品のほとんどが、石橋財団へ寄贈され、現在のコレクションの核をなしています。
「世の人々の楽しみと幸福のために」、これが石橋正二郎のモットーであり、
現在にいたるまでブリヂストン美術館の基本理念です。
ブリヂストン美術館は、開館以来今日にいたるまで、継続的な収集活動によってコレクションの充実をはかるとともに、さまざまな テーマの特別展の開催、講演会や各種教育プログラムの実施、書籍の刊行を行っています。
今後も人々が優れた芸術作品に出会い、楽しみ、学ぶための場と機会を提供し、現代における人間相互の理解の促進と芸術文化の発展向上に貢献していきます。
現在、当館は新美術館建設のため休館していますが、休館中も研究活動、収集活動、教育普及活動は続けていきます。
そして、新美術館オープンの際は、21世紀にふさわしい美術館像を分かりやすいかたちで皆様に提示していきたいと思います。 (美術館サイトから)