高島屋日本橋店 (国指定重要文化財)
昭和初期に建設された大規模な百貨店。古典様式の建築物の細部に東洋的なモティーフが散りばめられている。 軒先廻りにテラコッタによる化粧樽木が付き、1階ホールには大理石の柱が支える格(ごう)天井が見られる。
名水白木屋の井戸(2015年11月28日撮影、以下同じ)
日本橋交差点角にあった東急百貨店(平成6年1月閉店)は、昭和33年まで白木屋という屋号でした。白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店で、二代目彦太郎が正徳2年(1712年)に掘った井戸の水は、付近の住民のみならず、広く「白木名水」とうたわれました。 現在、白木名水は消失しましたが、東京都指定の旧跡として記念碑があります。(観光協会サイトから)
凧の博物館
郵便発祥の地
『現在、日本橋郵便局があるところは、明治4年(1871)近代郵便制度発足時に、駅逓司と東京郵便役所が置かれたところです。駅逓司は、新たな通信・郵便事務を統括する中央機関であり、郵便役所はその取扱機関として、東京、大阪、京都に設けられました。昭和37年4月の郵便創業九十周年を記念して、記念碑と郵便制度創設に着手した前島密(1835~1919)の胸像が設けられています。』
中央区文化財めぐり
中央区教育委員会
海運橋親柱
所在地 中央区日本橋1-20先
海運橋は、楓(もみじ)川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。江戸時代初期には高橋と呼ばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監(しょうげん)忠勝の屋敷が置かれたので、将監橋とか海賊橋と呼ばれていました。御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆ともいっていたためです。
橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同八年に、長さ八間(約15メートル)、幅六間(約11メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁栄し、橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
石橋は、関東大震災で破損し、昭和二年鉄橋に架け替えられました。このとき、二基の石橋の親柱が記念として残されました。鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和37年撤去されましたが、この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
平成六年三月
中央区教育委員会