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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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歴史豊かな建造物をめぐるコース (1)

[CAM] 2015年12月 6日 20:00

日本橋三越本店  (2015年11月29日撮影、以下同じ)

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(三越サイトから) 日本橋三越本店は、平成11年4月に日本橋地区の顔として「東京都選定歴史的建造物」に選ばれました。

現在の建物は、昭和10年(1935)に完成、ルネッサンス式建築の威容を誇り、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築物でした。

本館正面玄関には待ち合わせの場所として親しまれる「三越の守護神」とも言うべき「ライオン像」がお客様をお迎えし、メイン通路を抜けると、その豪華絢爛な美しさの、「天女(まごころ)像」がひときわ目をひきそびえ立っています。
この像をいただく中央ホールでは、各種催物やトークショーなどが日々開催されるイベントスペースとしてお客様に親しまれています。

中央ホールのメイン階段をあがると、美しい音色を奏でる「パイプオルガン」が設置されています。このパイプオルガンによる生演奏は毎週金・土・日曜の週3回行われ、お客様に喜ばれています。

この中央ホールからパイプオルガンをつなぐメイン階段。重厚感のある大理石をふんだんに使用しているのですが、じっくり目を凝らしてみてみると、アンモナイトなどの化石がはっきりと確認いただけます。御来店の際にお楽しみの一つとして化石探しをしてみるのもいかがでしょうか。

このほかにも、本館6階には、歌舞伎・演劇等が催される三越劇場が、本館屋上には三圍神社などが、百貨店ではめずらしい施設として、多くのお客様に喜ばれております。

                                                       

貨幣博物館

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(日本銀行サイトから) 日本銀行金融研究所貨幣博物館では、貨幣および貨幣に関する歴史的、文化的な資料を収集・保存し、それらの調査研究を進めつつ、広く一般に公開しています。

 貨幣博物館の所蔵資料の中核となっているのは、古貨幣収集家・研究家であった田中啓文氏(1884~1956年)が収集した銭幣館コレクションです。田中啓文氏は、わが国の古代から近代にいたる貨幣だけでなく、中国を中心とする東アジアの貨幣や、貨幣に関するさまざまな資料を収集していました。これらの資料が展示・保管されていた博物館が「銭幣館」で、1944年、戦火による喪失を避けるため、収集資料は日本銀行に寄贈されました。

 貨幣博物館は、これらの資料を公開するため、日本銀行創立100周年(1982年)を記念して1985年11月に開館しました。

 

 

常盤橋

IMG_2391.JPG常盤橋門跡 (工事中)

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(観光協会サイトから)  江戸城外濠の表正面で、現在は枡形門の石垣だけが残っています。この門は、浅草・千住を経て行く奥州街道の出口であったので、浅草口と呼ばれ、江戸五門のひとつにも数えられています。昭和3年(1928年)国の史跡に指定されました。

 

 日本銀行本店本館

IMG_2388.JPG(日本銀行サイトから) 日本銀行本店は現在、旧館、新館、分館の3つの建物から構成されています。
 このうち、本館は現在の日本銀行の建物の中でもっとも古く、明治29年に完成しました。明治中期の西洋式建築物としては、東京・赤坂の迎賓館(げいひんかん)とならぶ傑作(けっさく)といわれており、国の重要文化財にも指定されています。

 

三井本館

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 (三井広報委員会サイトから)  明治35年(1902)に竣工した駿河町三井本館(旧三井本館)は完成から20年後の大正12年(1923)、関東大震災で大きな被害を蒙った。建物の躯体そのものは、それほど致命的なダメージを受けていなかったが、問題は内部の焼失であった。そのため改修するか、完全に改築してしまうかの決定が迫られていた。

三井合名としては、当初改修する方向で進んでいたといわれるが、震災復興に対して三井が範を示す必要があるということ、また三井の諸事業の発展拡大により、今後、旧三井本館では手狭になると予想されたため、方針を転換。旧三井本館を解体し、新本館を建てることとなった。

・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、新たな三井本館の建築工事が開始された。

三井本館の意匠については「壮麗」「品位」「簡素」の3つのコンセプトが定められた。

外観デザインは20世紀におけるアメリカの新古典主義的なデザインを採用。クラシカルではあるが、過度に華やかさを強調しない抑制された美ともいうべきデザインで、これは3つの要素のうちの「品位」と「簡素」を表している。残りの「壮麗」については、ローマ風のコリント式大オーダー列柱にその要素が見出される。オーダーとは階を貫いてそびえる柱のことで、本館の大オーダーは建物の3面にわたって用いられ、無用な変化をつけることなく整然と並べられた。

三井本館は、約3年の歳月をかけて昭和4年(1929)3月に竣工した。総事業費は2,131万円(現在の約1,000億円)。地上7階(竣工時は5階)、地下2階の鉄筋コンクリート造りで、外装にはすべて花崗岩を使用。インテリアには大理石をふんだんに用い、あらゆる面で近代的な業務に応じられる設備を備えており、三井合名をはじめ、三井銀行・旧三井物産・三井鉱山・三井信託など直系各社入居し、本社機能を集中させた。

・・・・・・終戦を迎え、連合軍は進駐を開始。GHQは多くのビルを接収し、三井本館も4、5階の接収が行われた。・・・・・・・・・・・・辛酸をなめた三井本館だが、占領終了後は再び三井のオフィスビルとして使用され、平成10年(1998)に「意匠的に優秀」「歴史的価値が高い」との評価を受け、国の重要文化財に指定された。