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◆中央区 ここに歴史あり(65) 佃天台地蔵尊の発願主 ~東叡山浄名院に由緒を探る

[巻渕彰/写楽さい] 2015年12月 4日 09:00

佃島に鎮座する「佃天台子育地蔵尊」は、狭い路地のなかに瀟洒な地蔵堂と大きな銀杏樹に守られた異空間として知られている。堂内には信徒から寄進された提灯などが一列に飾られ、いつもきれいな供花が手向けられ、信仰の深さが伝わってくる場所である(写真上:中央に線刻の地蔵尊)

 

0913_65_151201tukudajizou.jpgところでこの佃地蔵尊の建立がいつ頃なのか、縁起を読んでもよく分からない。磨かれた石板に描かれた線刻の地蔵像をよく眺めると「石地蔵尊八万四千体造立発願主 天台地蔵比丘妙運拝写」とある。これを頼りに、縁起に書かれている「浄名院」を訪ねてみた。

 

浄名院(じょうみょういん)は台東区上野桜木二丁目にある(写真中央)。寛永寺から北へ、谷中霊園の入口に位置している。「東叡山浄名院」と掲げられた享保期の山門をくぐると本堂が目に入る。その左側に地蔵堂がある。江戸六地蔵の一つ、消失した深川永代寺の第六番地蔵が再建されていた。「地蔵寺」とも呼ばれている。

 

同寺境内には一面に石造の地蔵尊が建立されていて圧巻の情景である(写真下)。見渡すと3種の地蔵像があるようだ。呼び方は分からないが、彫刻された地蔵立像、墓石形状の地蔵像、佃と同じく自然石に刻まれた線刻の地蔵像である。佃の縁起に「自然石に刻まれたのは珍しい」とあるがこの寺では多く見られ、決して珍しくない。

 

「八万四千体地蔵」の門柱脇に設置された台東区教育委員会の説明板に解明の鍵があった。そこから抜粋すると、「同寺は寛文6年(1666)寛永寺三十六坊の一つとして創建された。地蔵信仰の寺となったのは第38世地蔵比丘妙運和尚の代からで、明治9年浄名院に入り、明治12年(1879)、八万四千体建立の大誓願をした」とある。

 

そうすると佃地蔵尊も、明治期に浄名院の妙運和尚が写し取ったという地蔵尊絵が配られて、その後に線刻されたことになろう。佃地蔵尊の縁起には江戸中期からの記述があり、ことさら由来が綴られているが、浄名院を参詣すると建立の謎が解ける。佃地蔵尊に「天台」が付くのは浄名院の宗派からだと納得がいく。@巻渕彰