「細雪」は、言うまでもなく関西を主な舞台とした物語であるが、主人公の姉妹たちの旅行などによって、東京の情景を描いた場面もかなり多い。
下記は、関西における婦人たちの会話である(引用は中公文庫による)。
>「でも、聖路加病院ならいつまで入院していらしったっていいでしょう」
「海が近いから涼しくって、ことにこれからがあすこはいいのよ。でも中央市場が近いもんだから、時々生臭い風が吹くの。それに本願寺の鐘が耳について。――――」
「本願寺はああいう建物になりましても、やっぱり鐘を鳴らすのでございましょうか」
「はあ、そうであんすの」
「何だかサイレンでも鳴らしそうだわね」
「それから教会の鐘も鳴るのよ」 (167)
それから続く以下の部分は、震災後に関西へ移住し、関西の女性と再々婚した谷崎ならではの叙述であろう。幸子とはもちろんその谷崎夫人・松子がモデルである。
>彼女(幸子)は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さんたちの間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こういう夫人の前へ出ると、何となく気が引けて―――というよりは、何か東京弁というものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差し控えたくなり、かえって土地の言葉を出すようにした。それにまた、そういえば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。なるほど丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日の夫人はいつものおっとりしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、―――東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、なんだか人柄がにわかに悪くなったように思えた。 (168)
「何か東京弁というものが浅ましいように感じられて来て」とか、「東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、なんだか人柄がにわかに悪くなったように思えた」とか、関西人の「東京弁」についての感じ方がよく描かれていて、おもしろい。この「東京弁」を「英語」に置き換えても、そのまま通用するだろう(笑)。