本日(12月13日)の日経新聞朝刊の24面、『文学食べ物図鑑(28)』(特別編集委員 野瀬泰申)で、関東大震災後の銀座について述べられており、そこで、荷風の『濹東綺譚』「作後贅言(ぜいげん)」から下記の部分が引用されていますね。
「銀座の町がわずか三四年見ない間にすっかり変った、其景況の大略を知ることができた。震災前表通に在った商店で、もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」
そして、さらに荷風は
「飲食店の硝子窓に飲食物の模型を並べ、之に価格をつけて置くようになったのも、蓋し已むことを得ざる結果で、これまた其範を大阪に則ったものだという事である」
と述べています。大震災後になって飲食店の店頭に食品サンプルがあふれる光景を見て、荷風は料理のように関西発祥のものが東京にやってきたと思ったのでしょうが、実は食品サンプルの発祥は大阪ではなく東京生まれで、震災後に始めたのは日本橋・白木屋百貨店だったことが、このコラムで述べられています。