こんにちは、みのりです。
日本橋の方に行ってみました。散歩しやすい天気でした。
日本橋は慶長8年(1603)に初めて架けられたといわれ、翌年には五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の起点となり、日本の中心、江戸の象徴となった。
明治に入ってからは、この橋の中央が国道の起点と定められ、明治44年(1911)に「東京市道路元標」が建てられた。
その後、都電の廃止に伴い、この標は日本橋室町寄りにある橋詰広場に移設された。
明治44年(1911)には、木造から2連アーチの石造橋に架け替えられている。
石造橋に使われた装飾品はすべて青銅製で、欄干の装飾照明柱には、想像上の動物である麒麟と獅子が設置された。装飾を担当したのは建築家の妻木頼黄。
(『歩いてわかる中央区ものしり百科』を参照)
また、江戸時代に高札場のあった南詰西側の「花の広場」には、昭和11年(1936)に日本橋区が設置した「日本橋由来記」の碑がある。
平成3年(1991)に80年を迎えることを記念して、平成2年(1990)7月から翌年5月にかけて広場の整備を行い、5月に完成式典が行われました。
整備にあたっては地域の方々の意見をもとに、日本橋橋詰を都心のオアシスとして人々の待ち合わせや地域の活性化になればと考え実施しました。
この整備工事に合わせ、愛称を一般募集するとともに、その愛称を末長く親しんでいただくため、記念碑として保存することとしました。
(平成3年10月3日 建設省 東京国道工事事務所 碑より参照)
明治維新後、新政府は中央政治機構の整備とともに町政の改革を急ピッチで進めた。
明治11年(1878)には郡区町村編成法が施工され、東京府内には日本橋区や京橋区をはじめとする15区と6郡が置かれた。
戦後まもない昭和22年(1947)3月、東京が22区制(のちに23区)になった時、日本橋区と京橋区は合併して現在に中央区が誕生する。
(『歩いてわかる中央区ものしり百科』参照)