11月1日の日曜日。中央区ではまるごとミュージアム2015が開催され、今年が2回目の「之乎者也(ちーふーちゅ~いぇ)」を含む26名の中央区観光協会特派員は、無料巡回バスに乗務しマイクを片手に街の案内役を務めました。当日は、乗車人数の調整やら運行間隔の時間調整があったり、さらには銀座地区でのデモ行進による大渋滞等様々なハプニングもありましたが、「お客様に中央区の魅力を伝える」というタスクは我々特派員にとっては、普段の研鑽の成果を披露する絶好のチャンスです。
右回りの無料巡回バスに添乗中、浜町バス乗り場に向うため東日本橋のバス乗り場を出発し左に曲がったところで、お客様の一人から「みゆき(御幸)通りって女の人の名前ですか?」と素朴な疑問が寄せられます。窓の外の道路名称案内板には「御幸通り(MIYUKI DORI)」と書かれており、また女性の名前で「みゆき」という名前(字は美幸や美由紀などもありますが)もよく聞きます、人気漫画の主人公にもありましたね!
「御幸」という漢字を辞典で調べると「みゆき、ごこう、ぎょこう」と読み、源氏物語や歴史の教科書に出てくる「行幸」と同じ意味であると載っています。とすれば、こちらの「御幸通り」も天皇陛下がお通りになった通り?ということになりますが、丸の内にある皇居前広場から東京駅前まで結ぶ「行幸(ぎょうこう)通り」であれば、東京駅からお召し列車にご乗車になる時にお通りになったのだろうと察しがつきますが、東日本橋となると「ちょっと皇居からもちょっと遠いけど、どうして?」となります。
理由は東日本橋のバス乗り場横にある「臨幸記念碑」にありました。現在日本橋中学校が建っている場所には、戦前には千代田尋常小学校がありました(明治10年創立、昭和20年廃校)。
【昭和初期の千代田尋常小学校(中央区教育委員会説明版より)】
1923年東京は関東大震災に襲われ、千代田尋常小学校を含む多くの地域が焼け野原になりました。千代田尋常小学校は、その後震災復旧事業による復興小学校として鉄筋コンクリートの不燃化構造で1929年12月に竣工しましたが、翌年の1930年3月に天皇陛下が復興した帝都を巡幸した際、車を学校脇の現在「臨幸記念碑」がある辺りに停め、休憩を兼ねて学校を訪問したということが記念碑に記されており、どうやら、この時の「御幸」が道の名前となったようです。
【臨幸記念碑】
さて、中央区の「MIYUKI DORI」といえば、もう一つ有名な銀座の「みゆき通り」がありますね。こちらは東日本橋のMIYUKI DORIが漢字であるのに対し、平仮名で書かれますが、新橋演舞場と日比谷公園を結び、晴海通りに並行して銀座5~6丁目を貫くこちらの通りは、「みゆき族」の聖地として名を馳せました。東京オリンピックが始まる少し前の1964年、アイビールックをちょっと崩した格好の独自のファッションの若者がたむろし、みゆき通りを闊歩したという社会現象が「みゆき族」と言われました。現在はご覧の通りブランドショップが立ち並ぶ華やかな通りとして人気を集めています。もちろん銀座の「みゆき通り」も「行幸(=御幸)」から来ており、こちらについては、明治天皇が築地にあった海軍兵学校、海軍大学校、浜離宮などへ行幸される際に通られた道ということで「みゆき(御幸)通り」という名前になったようです。
【御幸通り】
所在地:中央区東日本橋2-2から東日本橋2-10まで。
【臨幸記念碑】
所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋1-10-1(日本橋中学校 浜町河岸通り側)
【みゆき通り】
所在地:中央区銀座5-1から銀座6-4まで。