今回は区界を歩くと言ってもすべて晴海運河、隅田川で区界がはっきりしているので単に川沿いに散歩するだけである。 ほとんどの区間は江東区との区界で両国橋の近くで墨田区との区界となる。
ッとはいうものの、このコースは展望が素晴らしく、川沿いの地域には歴史的興味のあるところも多く、一度は体験してみることをお勧めする。
ゆっくり歩いても一時間ちょっと、車の喧騒から離れ、陽だまりでウトウトするもよし、クルーズ船を眺めながらランチするもよし、コースをちょっと外れて歴史散歩と組み合わせても楽しい。
また散歩とちょっと違った意味で日本橋を発着する日本橋川や神田川、東京湾、お台場などを組み合わせた舟運クルーズもお勧めだ。
(水都東京を創る会http://suito.or.jp/)
隅田川を上がるコースと下るコースのどちらでも良いが、スカイツリーを眺めながら歩くことになる上流に向かうルートがお勧めだ。
本来ならば、中央区の角っこであるレインボーブリッジに面した晴海埠頭の国際客船ターミナルを出発点とするべきだが、晴海運河沿いはほとんど歩道が整備されてなく、また晴海が東京オリンピックパラリンピックの選手村になることから工事関係のトラックの出入りが多いので、出発点は東京メトロ有楽町線・都営大江戸線「月島駅」から近い、江東区と結ぶ相生橋西詰めとするのがいいだろう。
◎相生橋西詰
◎佃島地図
元々、現在の月島、晴海地区は埋め立て地で、江戸時代には浅瀬と佃島、石川島など幾つかの小島が点在するだけで海の上だったのである。 つまり、永代橋が隅田川の河口、第一橋梁でその先は江戸湾であり、隅田川も永代橋までだったのである。
湊町や明石町(兵庫県の明石に風景が似ていることから)などが、かつてこの地が海だったことを表している。
佃島は徳川家康が摂津(大阪)佃村から漁師を呼び寄せ住まわせたことから住吉神社や盆踊りなど古い歴史を持つ地域である 。
石川島は、現在はウォーターフロントの先駆け「大川端リバーシティ21」高層住宅群として人気の高い地域であるが、かつて水戸藩が開設した石川島造船所(現IHI)の跡地であり、江戸時代には火付盗賊改役長谷川平蔵の建議によって出来た「人足寄場」があったところである。
「人足寄場」とは無宿人や刑期満了者などを強制収容し、大工、建具、塗物などの技術を習得させたり普請人足として働かせたりしてその更生をはかり、また賃金を与えて出所後正業に就かせるなど、治安対策と更生施設を兼ねた現代の刑事政策にも通じる施設であったらしい。
晴海運河沿いの石川島公園を抜けると美しい斜張橋の「中央大橋」が姿を現す。
◎石川島公園
◎中央大橋
この「中央大橋」の開通は1993年8月26日、「レインボーブリッジ」と同じ日であるためあまり騒がれなかった。
隅田川はフランスのセーヌ川と1989年に友好河川を提携しており、またこの「中央大橋」の設計がフランスのデザイン会社であるため、中央橋脚部上流側にはパリ市長であったジャック・シラクから友好の印としてオシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が鎮座している。
彫像は川側を向いているため隅田川を下る船からが見やすい。
中央大橋を渡るとスグに隅田川テラスに出る。
◎隅田川テラス
◎隅田川テラス地図
ここからは、「永代橋」の先で日本橋川に架かる「豊海橋」を渡る以外は隅田川に沿って真っすぐに上流の両国橋を目指して歩けばいい。スカイツリーが美しい。
◎永代橋
◎豊海橋
二階建ての「隅田川大橋」にケルンの吊り橋を模したといわれる美しい「清洲橋」、対岸には江戸時代に行徳から塩を運んだ小名木川の一番橋梁の「萬年橋」に、この地から奥の細道に出立した松尾芭蕉ゆかりの「芭蕉庵」も見える。
◎隅田川大橋
◎清洲橋
◎小名木川・萬年橋
◎芭蕉庵史跡展望庭園
隅田川のクルーズ船が行き交い、遊歩道の堤防の壁の部分には江戸時代の風俗を現した浮世絵が描かれ現代と過去が交叉する。
◎クルーズ船
◎水天宮浮世絵
新大橋を過ぎ、今まで隠れていたスカイツリーがまたビルの谷間から姿を現すようになれば間もなく終点の両国橋に到着する。
◎新大橋
◎両国橋