お正月です。友人からも謹賀新年のメールとともに新年会のお誘いが入って来ます。今回は季節の話題でもある江戸時代の「新年会」~「おらんだ正月」~についてお話したいと思います。
年末に岩手県から友人が上京して、銀座で一緒に飲んでいると「もうすぐお正月だね。正月といえば『新年会』だけど、一関(いちのせき:岩手県)出身で江戸時代に活躍した蘭学者の大槻玄沢(げんたく)って歴史の授業で習ったと思うけど、彼も新年会が大好きで、毎年必ずやっていたって知ってた?それもこの銀座で。。。」と江戸時代の新年会が話題になりました。
【大槻 玄沢像(小田 海僊(かいせん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】
大槻玄沢(1757年~1827年)は一関藩出身、「ターヘル・アナトミア(解体新書)」を翻訳・出版(1774年)した杉田玄白と前野良沢に蘭学を師事し、二人から一字ずつ貰って玄沢と名乗っています。
両師匠が解体新書の翻訳、そして弟子の稲村三伯、宇田川玄随、岡田甫説が日本初の蘭和辞典である「ハルマ和解(わげ)」を完成(1796年)という偉業をそれぞれ成し遂げたものの、玄沢本人はむしろ後進教育やプロデューサー的な役割に熱心(世話焼きタイプ?)だったためか、蘭学(蘭学概論、オランダ語文法)入門書の「蘭学階(=楷)梯(かいてい:1788年創刊)」を著し、弟子を教育する場所として京橋に「芝蘭堂(しらんどう)」を開いた(1789年)ことが実績として知られています。
【蘭学階梯(出所:京都外国語大学附属図書館)】
玄沢の門下には最盛期には100名の門下生がいましたが、蘭学者の集まりでもあり談論活発。玄沢の性格や蘭学塾の雰囲気、またオランダ商館長一行の江戸出府の際、長崎屋で対談したのをきっかけに、玄沢は1794年11月11日(旧暦)に芝蘭堂で「新元会(新しい元日を祝う会)」を開きます。蘭学者同士の親睦を深めて情報交換を行う場、今風に言えば西洋学会の新年会のようなものを企画、玄沢が自ら幹事役も買って出たというところでしょうか。【芝蘭堂新元会図(部分)(市川 岳山(がくざん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】⇒岳山も玄沢の弟子のひとりであるので、おそらくこの新元会にも参加して楽しんだ一人ではなかったかと思われます。
11月11日(旧暦)がオランダ暦(すなわち現在の我々が使っている新暦)の1月1日にあたるということで、オランダの正月をお祝いするという宴会を開いたのでした。普段は難しい勉強ばかりしている蘭学者の集まりだったのかと思いますが、結構楽しそうな雰囲気です。玄沢は自宅を芝蘭堂として使っていたので、引越しの度に移転(京橋、本材木町、三十間堀町、南紺屋町、木挽町、築地小田原町など中央区内が多い)を繰り返していますが、最初の「おらんだ正月」は、京橋水谷町(現在の銀座1丁目の水谷橋公園あたり)で行われたようです。当時は、鎖国時代とはいえ、長崎出島を通じたオランダとの交易は許されており、特にこの時期、8代徳川吉宗の享保の改革の結果、実学奨励の方針が取られ、1720年以降漢訳洋書の輸入も一部解禁され、蘭学研究が盛んになった時期であったという背景もあったようです。この催しは好評だったようで、その後も毎年行われ玄沢の死後も長男の磐里(玄幹)に引継がれ44年間続いたようです。
【芝蘭堂跡(推定)】
所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目12-6(水谷橋公園)