明治座から甘酒横丁に入って、藪蕎麦の角に、「初詣 元徳稲荷神社」のご案内の幟がありました。
左折して100mほど入ったところに、元徳稲荷神社が鎮座されていました。 この辺りには、入ったことがありませんでした。大発見です。
お参りして、ご由緒書きを拝見すると、
「元徳稲荷神社と綱敷天満神社の由来記、
江戸時代上期 千五百石を領した川村徳ェ衛門が伊勢神宮の外宮、豊受大神宮より分け御霊を受け、小石川の自分の屋敷内に祀った。
後に屋敷替えとなり今の墨田区立川三丁目の三ツ目通り三ノ橋の袂に遷宮して一般市民の参拝が出来るように開放しました。
豊受大神宮は瑞穂の神として国魂の神になって居たので庶民が豊作をもたらす神として祀る場合は稲荷神社の神名で祀るようになったようです。
川村徳ェ衛門が再度屋敷替えをした跡に民家が建ち、この町を「元徳ェ衛門町」と言い、稲荷神社は元徳稲荷神社と名づけられました。
細川公という大名屋敷が今の浜町二丁目西部町会(以前は元徳町会と呼ばれていた)内にあり、細川公が懇請して元徳稲荷神社の分け御霊を受けて祀ったのが、元徳稲荷神社の由来であります。
元徳稲荷神社に、同じ町内に祀ってあった学問の神である天神様(綱敷天満神社)を合社いたしました。進学の神、産業、商売繁盛、火伏の神としてもご利益も伝えられています。
神紋は稲荷神社の抱き稲紋と天神様の梅鉢紋を組み合わせた抱き稲に梅鉢です。
天神様で合格祈願、綱敷天神 辨財天という幟がはためいています。私も、資格試験が成就するようにとお参りしました。