永代橋
永代橋は、元禄11年(1698年)に隅田川の第四番目の橋として、現在の永代橋の場所より上流約150mに架けられていました。当時、橋の左岸を永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名付けられましたが、一説には5代将軍徳川綱吉の50歳を迎えた記念として、その名を付けられたとも伝えられています。当時諸国の廻船が航行していたため、橋桁をを十分高く取ったので、「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総、限りなく見え渡り眺望よし」といわれる程の橋上からの景観でした。
永代橋が現在の場所に移されたのは明治30年(1897年)のことで、わが国の道路橋としては初めての鉄橋に生まれかわりました。その後、関東大震災で大破し、大正15年(1926年)12月に現在の橋に架替えられました。その姿は、上流の清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重量感にあふれており、隅田川の流れとともに広く都民に親しまれています。
新川の跡
所在地 中央区新川一町目地域
新川は、現在の新川一町目三番から四番の間で亀島川から分岐し、この碑の付近で隅田川に合流する運河でした。規模は延長約五百九十メートル、川幅は約十一メートルから約十六メートルと、狭いところと広いところがあり、西から一の橋、二の橋、三の橋の三つの橋が架かっていました。
この新川は、豪商川村瑞賢が諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るため、万治三年(一六六〇)に開削したといわれ、一の橋の北詰には瑞賢が屋敷を構えていたと伝えられています。当時、この一帯は数多くの酒問屋が軒を連ね、河岸にたち並ぶ酒蔵の風景は、数多くの挿絵や浮世絵などにも描かれました。
昭和二十三年、新川は埋め立てられましたが、瑞賢の功績を後世に伝えるため、昭和二十八年に新川史跡保存会によって、「新川の碑」が建立されました。
平成六年三月
中央区教育委員会
新川公園
於岩(おいわ)稲荷田宮神社の鳥居・百度石
所在地 中央区新川二ー二十五ー十一
於岩稲荷田宮神社は、四代目鶴屋南北の戯曲で、文政八年(一八二五)に初演された「東海道四谷怪談」の主人公、お岩の伝承を持つ神社です。社地は歌舞伎俳優の初代市川左団次の所有地であったと伝えられ、花柳界や歌舞伎関係などの人々の参詣で賑わいました。
境内の本殿横にある石造の鳥居は明治三十年(一八九七)一月に造立されました。花崗岩製のこの鳥居は、中央区に現存する中では二番目に古い鳥居です。鳥居の形式は「神明鳥居」に属し、柱下部には断面が花形の根巻と四角い台座が付いています。
鳥居の奥にある百度石は民間信仰である「お百度参り」のための石塔です。中央区内に現存する百度石のうちでは最古のものです。左側面には「大阪浪花座興行記念 四代目市川右団次」と刻しており、市川右団次がお岩の上演を記念して奉納したものです。戦前・戦後を経て、現在もこの百度石でお百度参りを祈願する人も少なくなく、庶民の信仰とともに生きています。
鳥居・百度石は共に中央区民有形文化財に登録されています。
平成十一年三月
中央区教育委員会
中央大橋上の「メッセンジャー像」
両都市と両河川をつなぐ有効を記念して、パリ市は東京都へオシップ・ザッキン作「メッセンジャー」を寄贈する。
1992年10月27日 東京にて ジャック・シラク
「メッセンジャー」(Le messeger)
本作品は、1937年オシップ・ザッキン(Ossip ZADKINE)47才の時の作品である。
この都市に開かれた「パリ万国博覧会」に出品された作品であり、オシップ・ザッキンの作品の中でも大作の一つのに数えられている。
当時の万国博覧会の案内書によるとこの作品は「希少木材を求めて海外に船を派遣するフランスの守護神を表したもの」とされている。
「メッセンジャー」は、パリ市の徽章にも描かれている帆船を思わせる船を描いている。