土佐藩築地藩邸跡(バックの建物は中央区役所)
所在地 中央区築地1丁目1~6番、同2丁目1・6、9番地域
この地は、江戸時代前期に埋め立てられ武家地や町人地となりました。
文政9年(1826)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にしていたようで、幕末までこの地にありました。
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なお、幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半平太は、ここから程近い士学館道場に通っていました。
また、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政3年(1856)から同5年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町(現八重洲2丁目、京橋2丁目の一部)にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです。
平成22年3月 中央区教育委員会
京橋図書館
活字發祥の碑
明治六年(一八七三)平野富二がここに長崎新塾出張活版製造所を興し後に株式會社東京築地活版製造所と改稱日本の印刷文化の源泉となった
[昭和四十六年(一九七一)六月 建設]
築地小劇場跡
碑文・里見とん筆
大正末から昭和にかけ、新劇の本據として大いにその發展に寄輿した。戦災で焼失。
築地本願寺