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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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問屋街と不動院コース(4)

[CAM] 2016年1月30日 18:00

両国橋

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「両国橋・両国広小路・両国川開き」についての説明版

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薬研堀不動院

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川崎大師の東京別院・薬研堀不動院は、古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られ『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されています。

御本尊(不動明王)は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が、43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺(ねごろじ)に安置されたものです。

その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。

その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。また、順天堂の学祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所でもあります。

薬研堀不動院は講談とゆかりが深く、昭和57年5月に一龍斎貞花先生による第1回奉納講談「山内一豊の妻」がおこなわれて以来、毎月28日のお不動さまのご縁日には奉納講談がおこなわれています。 (「川崎大師」サイトから)

 

順天堂発祥の地

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天保九年(西暦1838年)
順天堂始祖佐藤泰然この地に
和蘭醫學塾を開く

昭和五十七年四月十日
学校法人 順天堂

 

講談発祥記念之碑

IMG_2627.JPG由来の記
元禄の昔、赤松清左衛門は浅草見附辺の町辻で太平記を講じ、江戸講釈の発祥となった。これがのちに「太平記講釈場」に発展して長く庶民に親しまれ、安政年間「太平記場起源之碑」が建てられた。この碑はその後、当不動院境内に移され、大正十二年の関東大震災まで名物となっていた。
この度、当不動院と講談協会との因縁により、真言宗宗祖弘法大師一千百五十年御遠忌を記念し、依って茲に新たに建碑をなすものである。
大僧正 高橋隆天撰書
弘法大師一千百五十年御遠忌記念

大本山川崎大師平間寺
昭和五十九年秋吉祥
東京別院薬研掘不動院
講談協会       建之  

 

納めの歳の市之碑

IMG_2628.JPG碑陰の記
遠く江戸時代の中頃より江戸の街では十二月に入ると各地で歳の市が立った
歳の市とは門松 〆縄飾り 羽子板等の正月用品を売る市を云う かつて東京の歳の市は十二月十四日 十五日の深川八幡に始まり 浅草観音 神田明神 芝の愛宕神社 平川湯島の両天神を廻って最後は二十八日の薬研掘不動尊で終り 特にこの市を薬研堀不動尊納めの歳の市と言われた 初めの頃は梅の盆栽が売られ梅の市とも呼んでいた 戦前は何十軒もの羽子板屋が不動院門前に並び横町には 神佛具 まな板 ざる 箒等の迎春用品の露店が出店し 当時の千代田小学校の通りには「かさ市」が立ち 〆飾り 門松 海老 こんぶ等が 威勢よく売られ 身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた
先の大戦の頃は戦火の拡大と共に一時中断してしまい戦後なんとか復活させたものの時勢に合わずさびれる一方であった
時移りようやく昭和四十年地元の町会商店会の有志が是非とも江戸以来の伝統行事下町の風物詩をしっかりと後世に残すべきと「薬研堀不動尊 歳の市保存会」を組織して 同時に近隣問屋街とも協賛し 衣料品 日用雑貨等を市価の半額で販売する「大出庫市」を併催することとなり苦心経営の末 最近になってようやく往時の賑わいを取り戻すことが出来た 有り難いことです
又 想いめぐらせば戦前戦後を通じて 本院の大本山である川崎大師平間寺の厚いご加護を一貫して賜ったことも復興への銘記すべき事柄である
本年は 大出庫市を併催して 丁度 三十年の節目に当たるので 歳の市復活に情熱を燃やした先人達を偲び 此の町の今日までの 歳の市への過ぎ越し方をこの碑に留め一つの証とする
平成八年四月十五日
薬研堀不動尊
歳の市保存会