築地市場正門近辺
市場内
(東京都中央卸売市場サイトから)
築地市場は、日本橋にあった魚市場と京橋にあった青物市場が移転し、昭和10年(1935年)に開場しました。
その後、戦後の復興、昭和30年代から昭和50年代にかけて施設の整備拡充を図りました。 昭和60年代に入り、施設の老朽化・過密化が著しくなったため、築地市場の再整備事業を推進することとし、仮設施設等を建設しました。しかし、工期、建設コスト、基幹市場としての機能維持の視点から見直しを行うことし、「現在地再整備」と「移転整備」を比較検討の結果、平成11年(1999年)11月、移転整備へと方向転換することとしました。そして、狭隘化が著しく、流通環境の変化に対応できない状況等から、平成13年(2001年)12月に策定した第7次東京都卸売市場整備計画において、豊洲地区に移転することを決定しました。 現在、豊洲新市場については、平成27年度中の施設竣工に向けて整備を進めています。
2015年11月19日付の「日経新聞」は、築地市場の現状と豊洲新市場への移転について、次のように解説している。
>人口減少や流通経路の多様化に伴い年々、卸売市場の取扱高は縮小している。世界中からモノが集積する築地も例外でない。全国中央卸売市場協会によると、中央卸売市場の総取扱金額は2012年度に約3.8兆円と、直近ピークの91年に比べ6割減少。都によると築地は13年に4500億円と90年のほぼ半分に縮小した。
農林水産省の推計によると全国の卸売市場経由率(水産品)は12年に53%。過去20年で20ポイント低下した。贈答用のウニやイクラのほか冷凍物や加工品も取扱量が減った。・・・・・・ 「スーパーや量販は独自の流通経路を確保している」(東京都水産物卸売業者協会=東京・中央=の浦和栄助・新市場対策部長)ことが影響。施設改修による魅力向上は喫緊の課題だった。
▼豊洲新市場 豊洲新市場は閉鎖型施設として2016年3月以降に完成、11月に開業予定だ。敷地面積は約40ヘクタールと、世界の主要市場で07年に中国で開場した上海東方国際水産センター(36ヘクタール)や、イタリアのミラノ市場(68ヘクタール)に匹敵する。
1935年に開場した築地市場は約80年が経過し老朽化が進む。トラック輸送が主役になった今、荷物の受け渡しを効率的に手掛けるのも不都合が生じていた。01年に豊洲市場への移転が決まった。
正門横のコンクリート壁に設置された「浴恩園跡」の説明版
魚河岸水神社の石垣部分に設置された浴恩園の面影を描いた銅版画
魚河岸水神社の前に立つ海軍発祥の地を記念する石碑、「旗山」と刻まれている
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