人気の朝ドラ「あさが来た」の舞台は大阪ですが、主役を凌ぐ人気の五代友厚は
ここ中央区にご縁がありました。
今回は五代さまの区内の足跡をたどってみます。
明治維新後、新政府は諸外国との交易に備え、江戸時代後期に劣悪になっていた貨幣を
国際的に通用する良質なものにする必要がありました。
この欧米式の貨幣作りを託された1人が五代さまです。
彼はこの仕事を進める中で、金銀入手のため、鉱山業を手掛け、
その管理事務所として明治6年に自宅があった大阪中之島に弘成館を創設。
明治7年、福島県の半田銀山の経営にも着手し、その拠点として東京築地入船8丁目に
「東弘成館」を置きました。
現在の明石町で、聖路加病院、芥川龍之介の生誕地辺りでしょうか。
ドラマでは、大阪から船と汽車を乗り継ぎ新橋から築地まで煉瓦街を歩く様子、
ガス灯が点る場面では、五代さまの「ここから一里の間に85本のガス灯が街頭を照らします」
と言うセリフもありました。
近代化を遂げる東京、モダンな街中央区の様子がよくわかりました。
築地の別邸にて療養生活の甲斐なく49歳の生涯を終えた五代さま。
「大阪をつくった男」として有名な五代さまが最後まで築地とご縁がありましたこと、
誇らしい気がします。
ドラマではもう出番はありませんが、今月22日に夢の中で再登場とか。
今からとても楽しみです。
ディーンさま、いや五代さまに会えるのが