重要文化財
築地本願寺 本堂一棟
附 正門・北門・南門(各一所)、石塀(五基)
所在地 中央区7築地3丁目15番1号
浄土真宗本願寺派(京都西本願寺)の直轄寺院・築地本願寺は、江戸時代初期の元和3年(1617) 、浅草近くの横山町に創建されました。
江戸浅草御坊と称された当寺院は、明暦3年(1657)の大火で消失した後、現在地に移転・再建されました。 特に本堂の大屋根は、江戸湊に入る船の目印であり、江戸庶民によく知られた名所の一つでした。
江戸時代から明治期にかけて何度か再建された木造の本堂は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した後、昭和9年(1934)に現在の本堂(鉄筋コンクリート造、地上二階、地下一階)となりました。
西本願寺22世宗主・大谷光端の依頼を受けた設計者の建築家・伊藤忠太(1867~1954)は、日本の伝統的な寺院様式ではなく、仏教の発祥地であるインドの建築様式を独自の解釈で外観に取り入れ、特異な雰囲気をもつ伽藍を創出しました。
花崗岩が用いられた建物中央の本堂は、上部に銅板で葺いた巨大な円形屋根がのせられ、左右対称にのびた翼部には鐘楼と鼓楼の塔屋を置き、正面中央と左右の入口には独特の曲線による破風を設けています。内部は伝統的な浄土真宗寺院の本堂形式でありながら、外観各部にはインド風の建築手法が見られ、入口の破風(はふ)・柱頭飾り・屋根上の尖塔、さらに細部の装飾が一体となり、全体として調和のある外観を創り出しています。
当寺院本堂は、建築家・伊藤忠太が最新の技術を用いて東洋的な建築を追求した典型例であるとともに、秀逸な建築デザインを保持する震災復興期の貴重な建造物といえます。また、本堂とほぼ同時期に建築された外周の石積塀や石造柱門(正門・北門・南門)も共通のデザインを踏襲しており、本堂と一体をなす貴重な建造物となっています。
これらの建造物は平成26年に重要文化財として、指定されました。
平成27年3月
中央区教育委員会
国指定重要文化財についての標示版
敷地内にある、石灯籠(これは重要文化財ではない)
敷地内にある親鸞聖人像 (これは重要文化財ではない)
重要文化財の一部である正門と石積塀
重要文化財の一部である南門
敷地内にある第一伝道会館、喫茶室や宿泊施設もある。