今年も桜の季節は終わり、初夏を迎えつつある佃公園などを散策した。写真は変わり映えもしないが、老人にとっては、後何回桜を観れるかと思うと、落花の風情もいとおしく感じられる。(以下、写真の撮影は、4月13日、15:30~16:30)
石川島公園には、中央区の手になる「誕生記念樹」が植えられている。小津安二郎監督作品に、「小早川家の秋」という関西を舞台にしたものがあるが、このラストシーンで、火葬場の煉瓦の煙突から出る煙を見ながら、笠智衆と望月優子が、また一人死んだんや、そして人間が死んでも、その後から新しい命が「せんぐり、せんぐり」生まれてくると言って、感慨深い表情をする。私のような老人にとって、このような「誕生記念樹」などを見ると、この「せんぐり、せんぐり」という表現を想起してしまう。
佃公園、桜はほとんど葉桜に変わっている。
住吉神社
以下に、荷風の『断腸亭日乗』で、桜の季節の前後を述べた部分を見てみると
大正7(1918)年4月4日「半陰半晴。桜花将に開かむとす。」
4月16日「靖国神社の桜花半落ちたり。」
大正8(1919)年3月25日「市中処々の桜花既に開くといふ。」
3月28日「・・・墨堤を歩む。桜花既に点々として開くを見る。」
3月30日「築地本願寺の桜花を観る。此寺は堂宇新しく境内に樹木少く市内の寺院中最風致に乏しきものなれば、余
は近巷に来り住むと雖、一たびも杖を曳きしことなし。此の日桜花の咲乱るゝあり、境内の光景平日に比すれ
ば幾分の画趣を添え得たり。」
4月14日「・・・九段社頭の夜桜を観る。」
4月17日「午後散策。日陰町通を過ぎて芝公園を歩む。桜花落盡して満山の新緑滴るが如し。帰途歌舞伎座木戸前を
過るに、花暖簾の色も褪せ路傍に植付し桜も若芽となれり。都門の春は既に盡きぬ。」
大正10(1921)年4月7日「風吹き狂ひて夕方より雨ふる。桜花の候、天気日々行楽に適せず。大正二年『大窪多与里』を
書きける頃、花開きて風寒き日多かりし事ども、何ともつかず憶ひ起しぬ。」
4月13日「花落ちて樹は烟の如く草は蓐の如し。」