木挽町通りのハナミズキが見頃です
正確には、下の地図、木挽町通りのピンク色のところのハナミズキが見頃です
この通りの両側に植えられたハナミズキは比較的若い木で、木挽町通りの他のブロックや、松屋通りのハナミズキよりは小ぶりですが、早く咲いています
私は、「木挽町通り」ということばの響きがとても好きですが、銀座を走る通りの中で、町名を冠したものは、現在この木挽町通りと木挽町仲通りだけのはずです。
京都の「新町通り」や「木屋町通り」と同じく歴史を感じさせてくれます。
もともと木挽町は、江戸城の改築と城下町の建設のために、諸国から集められた木挽き職人たちが住んでいた町でした。
ちなみに、木挽きというのは、木を切る人ではなく、山から伐り出した丸太を、大鋸と呼ばれるのこぎりを使って、柱や梁、板などに製材する職人のことだそうで、大工と並んで木挽きは建築の重要な役割を担う技術者だったそうです
その「職人の町」に芝居小屋が建って「芝居の町」となり、明治になってからは高級料亭が軒を連ねて、「料亭の町」として賑わいました
「木挽町」の名前は、昭和26年に三十間堀が空襲で出たがれき処理のために埋め立てられて、銀座と木挽町が陸続きとなった時に失われました(埋め立ての完了は翌27年)。
「木挽町」はなくなっても、「木挽町通り」は残っており、そこに銀座の歴史の奥深さが感じられます