大分時間がたってしまいましたが、3月12日に中央区観光協会特派員限定ツアーの
「寄席文字を橘右門師匠より学ぼう!」に参加し、知的好奇心をみたしてきました。
忘れないようにブログに書きたいと思います。
開催場所は、人形町にある読売ISのビルで、ここは、1970年まで人形町末広という
寄席があった場所です。
人形町末広のあった場所ということもあり、読売ISビルでは2011年以来
「読売あいえす落語」が年1回開かれているそうです。
さて寄席文字ですが、これは江戸文字四体の一つで、
読んで字のごとく落語の世界を飾る文字です。
江戸文字四体は、この他に歌舞伎で使われる「勘亭流」、相撲の「相撲字」、神社の
千社札や提灯等に使われる狭義の「江戸文字」があり、これに「寄席文字」を加えて
(広義の)「江戸文字」と呼ぶそうです。
※歌舞伎の勘亭流だけ「○○流」と流派を表す呼び方なので、右門師匠の説明を
聞いてようやく頭の中で「江戸文字四体」が整理できました。
江戸文字(広義)―寄席文字(寄席用)
―勘亭流(歌舞伎用)
―相撲字(相撲用)
―江戸文字(狭義:千社札)
寄席文字の特徴は、①筆太、②右上がり、③少ない余白、④丸みを持ち、⑤かすれない
だそうで、「お客様が隙間なく寄席をうめる」「興業が右肩上がり」という縁起を
担ぐためとのこと。
また、寄席文字の起源は、天保7年(1836年)に栄次郎(えいじろう)という紺屋職人
が提灯文字と勘亭流を折衷して作った「ビラ字」と呼ばれる書体だそうです。
ビラ字は寄席のビラに使われたことからそう呼ばれました。
その後、「ビラ清」「ビラ辰」等がビラ文字を書いていましたが、ビラ字の名人と
呼ばれた2代目ビラ辰の没後に、橘右近がビラ字に影響を受け、工夫を加えて
「寄席文字」を確立したそうです。
現在の寄席文字は、橘流寄席文字一門が唯一正統に伝承しているそうで、講師の
右門師匠は、家元である橘右近師匠(前述)の直系の弟子としては16番目
(右近師匠は亡くなられているので)最後の弟子となります。
ツアーでは、実際に寄席文字を自分で書く体験もありました。
寄席文字(他の江戸文字も多分そうだと思いますが)は、もちろん筆と墨で書くの
ですが、習字とは全然違います。
習字は肘を上げて(浮かせて)書きますが、寄席文字は鉛筆のように手の甲を机に
つけて書きます。また、書き順も習字のものとは違うし、字体も変わっていて
まったく別の漢字のように見えます。師匠によると「字を書く」というより「絵を
描く」センスかなと仰っていました。
お手本の字と、私が書いた字を写真にのせます。
(「一」ばっかり書いていますが。。。。。左から3列目の上2つは師匠の字です)
(他の字は「四」と「五」だけ書いてますが、「まずは横棒から」という師匠の
教えを守り、愚直に「一」ばかり練習しました)
寄席文字の写真(手本)
寄席文字の写真(自分のもの)
実際にツアーで書いた文字が私のものばかりだとつまらないので、右門師匠が
デモンストレーションとしてその場で書いた肉筆の寄席文字を以下に載せます。
橘流本家の美しく迫力のある文字をご覧ください。
師匠によると、文字を見た女性の何人かは、あまりの美しさに気絶するとのこと。
今回の女性参加者の方々は辛うじて気絶だけは免れたようでした。
それから、よくパソコンのフォントで「寄席文字フォント」
などがあると思いますが、これらは、本当の意味での「寄席文字」ではなく、
フォントのデザイナーさんがそれらしく似せて描いたもので、
「寄席文字」とは呼べないとのこと。ご注意ください。(師匠より)
やはり実際の「寄席文字」は紙など、特定のスペース上に「隙間」「太筆」
「右肩上がり」を意識して、人間が実際に筆で美しく描いたもの。
そこに味があるのだと理解します。
講習を通して、寄席文字はもちろん、街で江戸文字を見たときに、それらの違いを
意識するようになりました。貴重なツアーありがとうございました。