まだ5月というのに、夏日の連続。街を歩くと汗が吹き出します。
都電荒川線の新庚申塚駅で降りて、線路に沿って北方向、白山通りを渡ります。
何気なく目に入った看板に「お岩通り商店会」(豊島区西巣鴨)の文字を見たとき、
「本当に! これってありなんですか。」と心の中で叫びました。
お岩さまといえば、押しも押されもせぬ夏の定番「東海道四谷怪談」の主人公。
歴代の名優の手によって磨かれた技を駆使し、舞台で、スクリーンで、その強力なる霊力を縦横に発揮します。ジャパンホラーがブームですが、「怪談」から連想される存在としては、まぎれもなく日本のトップに君臨しています。
できれば個人的には関わりを持ちたくない存在ではあります。
でも、地元の方々には深い縁があり、心の拠り所として崇敬を集めているからこそ、このような良い意味でのファンキーなネーミングが続いているのでしょう。
まさにロックの境地。
中央区新川二丁目に「於岩稲荷田宮神社」があることは、以前、特派員ブログでも取りあげたことがあります。
この機会に、関連する社寺を巡ってみようと、新宿区四谷、中央区新川、豊島区西巣鴨をひと回りしてみました。
江戸時代の初期のころ、四谷左門町の組屋敷に御家人田宮家がありました。
当時の御家人といえば、傘張りの内職にも表れているように、極めて貧しい生活を強いられていました。
そのような中で、田宮家を隆盛させた賢婦人がお岩さまです。
お岩さまが信仰していた屋敷神が、後に「お岩稲荷」と呼ばれ、御家人の妻たちをはじめ、不遇な婦人たちの守り神となっていました。
そうした伝承を基に四世鶴屋南北が傑作を生みだします。文化・文政年間(1825年)歌舞伎が上演されると、爆発的な人気を博し、お参りする人もうなぎ上り。
四谷於岩稲荷田宮神社。
東京メトロの四谷三丁目駅からのアプローチが最も近いでしょう。
赤い幟がはためいて、原作のおどろおどろしい雰囲気は和らいでいました。
グループでやってくる方、おひとりの方、二人でお参りする方。
えっ二人で・・。 縁切りのイメージがあるのですが、大丈夫ですか?
商売繁盛、家内安全、芸能向上、それに縁結び。etc。
なんか、オールマイティな功徳、ご利益がもたらされるのですね。
よろず霊験あらたか、といった感じでしょうか。
四谷左門町の道路をはさんで向かい側に、長照山陽運寺(ちょうしょうざん よううんじ)という日蓮宗のお寺があります。
昭和初期に創建の寺院ですが、本堂にお岩さまの木像が安置されています。
また、境内にはお岩さまゆかりの井戸も。
1月と8月を除く毎月1日には「お岩さま開運祈願祭」が行われ、瞑想を通して心身をリフレッシュすることができるのだそうです。
明治12年頃に、初代市川左団次の所有地と伝えられる越前掘に遷座されたのが、中央区新川の於岩稲荷田宮神社です。
当時、芝居小屋にも近く、花柳界や芸能関係者の参詣で賑わったといいます。
中央区登録文化財である「百度石」は、四代目市川右団次が奉納したものです。
市川左団次と市川右団次は、よく混同しがちです。観光検定用の整理ポイントです。
西巣鴨の長徳山妙行寺(ちょうとくさん みょうぎょうじ)には、お岩さまのお墓があります。
寛永元年に創建され、明治42年に四谷から移転してきました。
物語にゆかりのある寺社も、直接訪ねて由来をひも解いてみると、その変遷が見えてきました。
その背景に、大流行した「四谷怪談」ブームと、厚い信仰に支えられて続いている、人々の願いや思いが感じられました。
於岩稲荷の境内で、家族連れの女の子が突然、「お母さん」と言って母親の足にしがみついた時には、スーッと冷たいものが背筋を流れました。
きっと、蜘蛛でも見たのでしょう。蜘蛛でも。