平成28年6月4日(土)、三島由紀夫研究会が開催した「橋づくしツアー」に参加しました。 新橋の「末げん」で昼食をとった後、銀座板甚道、銀座、昭和通りを経て、小説のとおりに7つの橋をめぐり、無事にゴールとした築地本願寺に到着しました。以下、小説を引用しながら(小説は、昭和31年に雑誌文藝春秋に掲載され、単行本は昭和33年に刊行された。引用は新潮文庫『花ざかりの森・憂国』による)、当日のコースを紹介します。
新橋末げん
明治42年創業の鳥割烹店。三島由紀夫と盾の会メンバーが、決起前夜、最後の晩餐を行った。平成9年に現店舗に建て替えられている。
銀座板甚道
「陰暦八月十五日の夜、十一時にお座敷が引けると、小弓とかな子は、銀座板甚道の分桂家へかえって、いそいで浴衣に着かへた。」(177)
岡半本店
「たとえば夕刻髪結へ行くと、同じ土地の妓が、順を待つあいだを、岡半の焼肉丼なんぞを誂へて、旨そうに食べているのを見ることがある。」(178)
伊勢由
「厨口の三和土に満佐子の下駄が揃えてある。伊勢由の黑塗りの下駄である。」(184)
昭和通り
「小弓が先達となって、都合四人は月下の昭和通りへ出た。自動車屋の駐車場に、今日一日の用が済んだ多くのハイヤーが、黒塗りの車体に月光を流している。それらの車体の下から虫の音がきこえている。
昭和通りにはまだ車の往来が多い。しかし街がもう寝静まったので、オート三輪のけたたましい響きなどが、街の騒音とまじらない、遊離した、孤独な躁音というふうにきこえる。」(185)
三吉橋(第一・第二の橋)
「程なく四人の渡るべき最初の橋、三吉橋がゆくてに高まって見えた。それは三又の川筋に架せられた珍らしい三叉の橋で、向う岸の角には中央区役所の陰気なビルがうずくまり、・・・・」(187)
説明標示標には「橋づくし」が引用されています。