ある講座で、講師の先生が、京都に在る越後屋京本店についての絵図(「京本店絵図」三井文庫所蔵史料)の中に「室町通り」という表示があることについて、「京都 "にも" 室町があるのですね」と言われた。この表現はおかしい。京都の室町の存在が(はるかに)先で、東京日本橋の室町はその(かなり)後のネーミングであるはずだからである。
言葉尻をとらえるようだが、こうした(専門家でさえもが)無意識に?おかすミスというのは、大阪・京都が先進地帯であって、後進地域である江戸が関西に伍することができるようになったのは、江戸時代もかなり後期になってからであることをつい忘れてしまうからではないか。
ちなみに、「日本橋室町」の地名の由来については、中央区のHP「地名の由来」では、
「京都の室町にならったという説と商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります」と説明されており、『ものしり百科』では、「昭和6年、中沢彦吉の発案により、めでたい名を選んでつけられた」としている(173頁)から、「京都の室町にならった」という断定はできないかもしれない。
しかし、少なくとも「京都"にも"室町がある」という表現はおかしいだろう。