7月1日・2日の両日、湊二丁目10・11番の発掘調査現場にて、「中央区湊二丁目(第5次)遺跡見学会 ー鉄砲洲に営まれた武家地と町人地ー」が実施されました。
(10:00~16:00)
まず郷土天文館の学芸員より、遺跡の紹介や調査状況の説明を拝聴。
『当該遺跡は1590年に徳川家康が江戸に入府した後に埋め立てられた土地で、鉄砲洲と呼ばれたところ。名の由来は、埋立地の形が鉄砲に似ていたからとも、埋立直後に幕府鉄砲方の射撃場が在った為とも云われる。
調査された土地の北側は町人地、南側は武家地と考えられる。
武家屋敷(徳島藩蜂須賀家など)エリアでは、上水道や井戸、町人地との境にあった石組みの下水、ゴミ穴、庭園の一部の池などが発掘。町屋エリアでも、石組の下水や木組みの下水、建物址や土蔵址などの遺構が発掘。
中でも鉄砲洲を形づくっていた石垣は、江戸時代初期の土地の造成が解る遺跡の可能性があり、大変貴重な発見。
明治時代になると、築地外国人居留地の "雑居地" となり、西洋産の食器や、肉食を窺わせる、牛の骨が出土』
との由。
石垣の石材、出土遺物の展示も行われています。
出土遺物。左から食器類、蜂須賀家の家紋瓦、土瓶・急須、玩具