『ギフト、そして自分も楽しむ』をプロットとして取材します、rosemary seaです。
閑話休題、芸術・美術・歴史の観点からも榮太樓總本鋪さんは素通りできません。
日本橋本店さんは話題の宝庫です。
前回同様、「榮太樓總本鋪」さんを、親しみを込めて「榮太樓」さんと呼ばせていただきます。
1.文字看板のお話
現在の看板は高林五峯ーたかばやしごほうー(1868-1947)という書家の作です。どっしりとした行書で、「太」の字が奇を衒(てら)っています。
この1つ前の看板は高橋泥舟ーたかはしでいしゅうー(1835-1903)の書だったそうです。高橋泥舟は勝海舟、自身の義弟の山岡鉄舟とともに『幕末三舟(ばくまつさんしゅう)』と呼ばれた武士・幕臣です。政治面だけでなく書画を多く遺し、また書画鑑定でも活躍しました。勝、山岡ほど有名人ではありませんが、剣も槍もかなりの腕だったようです。正真正銘の『最後のおさむらい』です。
2.松のマークのお話
初代榮太樓がある日別荘を買い取ったそうです。それは元旗本の家だったそうですが、その家に生えていた松が大層大きく、高さ6m、幅21m、歌舞伎の松羽目(まつはめ、まつばめ)に似ているような立派なものだったそうです。もともとは将軍徳川家光公からその旗本家が拝領した松、家宝のような松でした。
榮太樓さんのマークはこちらの松がモデルとなっています。
3.店舗間口のお話
自動扉を入るとそこに「石」が埋め込まれています。創業当時からあった石だそうです。座布団ほどの大きさですが、今日まで遺してあります。
この石の周りに銀色のラインがあります。畳で4畳半くらい。これが創業当時のお客の入れる広さ、すぐ人でいっぱいになったそうです。
4.「絵①」のお話
お店に入ってすぐ左側の壁に中央区有形文化財(レプリカ)の「日本製菓子鋪 榮太樓本店 製造場略図」(柴田真哉ーしばたしんさいー 画)があります。
実物は榮太樓さんが所蔵しています。
明治18年(1885年)、ロンドンで万国発明博覧会が開催され、商品を出品するにあたり菓子製造の工程を説明するために工場の様子を榮太樓さんが画家に描かせたものです。
上の左の写真、画面中央左の和服姿の男性が初代榮太樓です。上の右のアップにした写真では中央になっています。
5.「絵②」のお話
お店の奥の左側の壁に十二代目市川團十郎丈(1946-2013)の描いた松の絵が掲げられています。梅ぼ志飴の成田屋缶つながりでの本物の絵です。
面白いのは松の絵『寿』の字に見立てて描かれていることです。
実物であるが故にお客として鑑賞は遠目になりますが、一見の価値ありです。
6.「絵③」のお話
お店には飾ってありませんが、榮太樓さん所蔵の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」(河鍋暁斎ーかわなべきょうさいー1831-1889 画)をご紹介します。カラスの絵です。
明治10年「第1回内国勧業博覧会」で榮太樓さんの甘名納糖が優等賞を受賞したことは前回申し上げましたが、河鍋暁斎はその4年後の第2回にこの絵を出品、妙技2等牌(日本画の最高賞)を受賞しました。
暁斎はこの作品に百円という当時としては破格の値段をつけ、高すぎると非難されるや「これは鴉の値段ではなく長年の画技修行の価である。」と答えたといいます。初代榮太樓はこれに心意気を感じ本当に百円で購入、このことは当時の新聞紙面に「榮太樓の主人、暁斎の絵を買う」と載りました。いろいろなところから取材が来たそうです。
ちなみに埼玉県蕨市の河鍋暁斎記念美術館もこの絵を模した印章を使用しています。
※ この画像は榮太樓總本鋪さまよりご提供いただきました。
榮太樓總本鋪 日本橋本店
日本橋1-2-5
03-3271-7785
営業時間: 9:30~18:00 (月~土)
定休日:日曜・祝日
榮太樓總本鋪さんのホームページはこちら ⇒ http:www.eitaro.com/