こんにちは、みのりです。
8月は八重洲通りの中央分離帯に行ってきました。
この八重洲通り(中央分離帯)にある「ヤン・ヨーステン記念碑」は、日蘭修好380年を記念して1989年(平成元)に設置されたものです。
オランダ船リーフデ号の船員であるヤン・ヨーステンは、同船の航海長であるウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに豊後(大分県)に1600年(慶長5)に漂着し、ウィリアム・アダムスは、徳川家康と会見する(リーフデ号の代表者として招かれた)。この年に関ヶ原の戦いで徳川勢が石田光成らが率いる西軍を破る。
徳川家康の側近として仕えるようになったヤン・ヨーステンは、ウィリアム・アダムスとともに徳川家康の外交顧問や通訳として活躍、アジアでの朱印船貿易に従事した。八重洲という地名は、彼の拝領屋敷があったことにちなんだものといわれる。
ヤン・ヨーステンの像は、オランダ人L・P・プラートの作です。
また、この中央分離帯には、「平和の鐘(中央区平和都市宣言記念)」もあります。
中央区は、1988年(昭和63)3月15日に政界の恒久平和と人類の永遠の反映を祈念し「平和都市宣言」をしました。
段上の三角形のアーチは、この宣言を記念するモニュメントとして設置されたものです。
この平和の鐘は、オランダ製で26個のベルによって四季折々のメロディを奏でます。
(設置 1989年(平成元)3月15日 東京都中央区)
●ヤン・ヨーステン(1556?~1623)
耶揚子とも。オランダ人船員。アダムスらとともに、1600年(慶長5)豊後に漂着。徳川家康の外交顧問となる。江戸に拝領屋敷を与えられ、日本女性と結婚し子女をもうけた。オランダの通商に寄与。
●ウィリアム・アダムス(1564~1620)
1600年(慶長5)に、ヤン・ヨーステン等とともに豊後に漂着したオランダ船のイギリス人航海長。徳川家康の外交顧問となり、三浦按針と名のる。相模国三浦郡に領地を与えられ、オランダ・イギリスとの通商に尽力。日本人妻との間に二人の子があった。
<参照>
ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘の説明
江戸文化歴検定公式テキスト【上級編】江戸博覧強記 編者江戸文化歴史検定協会 発行所(株)小学館
図説江戸ものしり事典 発行所(株)新人物往来社
歩いてわかる中央区ものしり百科 監修中央区観光検定委員会