野口富士男著『私のなかの東京』(昭和53年6月、文藝春秋)の中で、築地小劇場跡の記念碑設置の際の「東京新聞」夕刊記事(昭和52年8月16日付)が紹介されている。
>大正末から昭和にかけ、新劇のメッカとなった築地小劇場(昭和20年戦災で焼失)をしのぶ記念碑が東京都中央区築地の同劇場跡地に完成、15日、演出家千田是也氏、女優岸輝子さんら演劇人や地元関係者ら約百人が集まり除幕式が行われた。
完成した記念碑は、同劇場跡地に建設された電電公社ビルの壁面に埋め込まれており、縦横1メートルの小松石製のレリーフ。焼失前の劇場像が彫り込まれ、作家里見弴氏の碑文が添えられている。
「焼失前の劇場像が彫り込まれ」というのは厳密には誤りである。レリーフに彫刻されているのは大正13年創設当時のもので、昭和8年にいったん新築し直されている。なお、『ものしり百科』69頁でも述べられているように、電電公社ビルはNTTデータ築地ビルに変わっている。
野口氏は、「築地といえば、すぐ明石町の居留地が連想されるが、私たちがただ『築地』といった場合、それは私が中学1年生であった大正13年6月13日に開場されたといわれる築地小劇場をさしていた。」と書き、「学生時代に私は築地小劇場の帰途、何度となく築地川にかかっている亀井橋をわたって銀座へ出た。橋のたもとには小林多喜二が虐殺された築地署があった。川の正面は新橋演舞場で、その左手が東劇である。」という昭和42年に書いたという自らの文章を紹介している。