先日、ツアーで明石町に出かけました。聖路加病院のあるところです。
ここは明治時代には旧外国人居留地でもありました。
またミッション・スクールの発祥地ですね。
ちょうどお昼。教会のが鳴りました。音色は讃美歌です。
9月は防災月間です。義父が亡くなって何年になるでしょうか。
関東大震災時、築地の立教中学に通っていたと聞いておりました。
「私立学校はは夏休みが長くて、大分の婚家先の姉の家に遊びに行っていて、命拾いをした。」と良く話しておりました。
当時の自宅は銀座3丁目にあったのだそうです。
そこで、そこで聖ルカ通りを銀座まで歩いてみました。
緑青葺きの3階建ての
宮川食取鶏卵商店。(中央区築地1-4-7)
創業明治なので、義父はこの店の前を通ったでしょう。
表の壁に昔のままの電話番号があります。
左から東京代表(54)百七十七番。
知人が手土産に持ってきてくれた
原宿「八竹」の茶巾ずし。
築地に移転して4年になるとか。(中央区築地2-8-8)
茶巾ずしを購入して帰りました。
やっぱり美味しいですね。
舅はインド風ではない、木造の築地本願寺を見ていたのでしょうか。
銀座2丁目ブランド交差点です。
プランタンの手前までまっすぐ歩いて、30分。
並木通りの銀座3丁目に到着です。
片道30分の通学路だったのですね。
明治生まれにしてはとても上背があり、色が白くて英国紳士のような義父でした。
お彼岸近くに、 思いがけずに歴史的なことと、
私的なことがかみ合った日になりました。