築地本願寺の境内に、九条武子夫人歌碑があります。
中央区観光協会編集の「中央区ものしり百科」には、九条武子夫人のことについて、こう書かれています。
九条武子(1887~1928)は、西本願寺門主、大谷光尊の次女として京都で生まれた。 21歳のときに男爵九条良到(よしむね)と結婚。
夫の英国ケンブリッジ大学留学に同行するが、2年後に帰国。良到は、その後、横浜正金銀行ロンドン支店に勤務するなど英国に11年間滞在したため、別居生活は10年近くにおよんだ。 その間、武子は和歌を佐々木信綱、絵画を上村松園、生け花を西川一草亭に学ぶなど多彩な才能に磨きをかけ、歌集「金鈴」、「薫染」、随筆「無憂華」といった作品を残した。 築地本願寺にいたときに、関東大震災に遭遇し、震災復興事業に奔走した。 境内に「おおいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」という歌碑がある。
暫く、夫人の功績について、探求する機会がなかったのですが、
九条武子夫人が、関東大震災で罹災された方々を日比谷公園前などで救護に当たっている様子の写真を、墨田区横網2丁目にある「復興記念館」の1階で見つけました。
お写真は、いくら新聞に掲載されたものとはいえ、高貴なお方のご尊顔をご紹介するのは失礼と考えましたので、説明文だけをご紹介します。
〒130 -0015 東京都墨田区横網2丁目3番25号 横網町公園にある「復興記念館」のHPは、こちらです。
是非、こちらも、おみ足をお運び下さい。
41歳と言う若さでお亡くなりになられたのですね。夫人のご功績に対して、合掌。