山形県の中央部を貫く、出羽山脈。
信仰の地、修験の霊峰、月山・湯殿山・羽黒山はそこに鎮まります。
羽黒山へ向かう参道に「手向(とうげ)」という、宿坊が軒を連ねる集落があります。
その村に正善院があり、境内に「於竹大日堂」というお堂が建てられています。
「今年9月25日から10月30日まで、ご本尊の於竹大日如来の御開帳が行われる」
同地にある『いでは文化記念館』のパンフレットを通してその情報を知りました。
えっ、お竹大日如来。
もしかして。
日本橋本町3丁目6-2。小津和紙店の社屋北側。
於竹大日如来井戸跡と縁起の説明板が建てられています。
あのお竹さんでしょうか。
「江戸時代初期、思いやりの深いお竹という下働きの女性が居りました。
自分の食べる分を割いてまで、他人に施しを与えていました。
みずからは台所の流しの残飯を食べるという、超もったいない精神の実践者。
ある日、不思議な力に導かれた羽黒山の修験者が屋敷にやってきます。
『心優しいお竹さんこそ、大日如来の生まれ変わりだ。』
その修験者の言葉が口火となり、お竹さんの評判は江戸中に広まりました。」
ああ、そういうお話ね。
何々の生まれ変わり。
説話、寓話によくあるパターン。
あまり気にも留めずにおりました。
それが、遠い出羽の地において、大日如来像、大日如来堂として現代まで手厚く祀られ、
今年、特別御開帳を迎えるとは。
お竹さん、凄いかも。
徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院も、生き仏としてのお竹さんに
「ありがたや 光と共に行く末は 花のうてなにお竹大日」
との歌を詠んでいます。
手が届くところにいる人物を神・仏と祀り篤く信仰することは、毎日を必死に生きる人々にとって、大きな救い・安らぎとなったのでしょう。
そして、江戸時代の信仰に注目したとき、卓越した能力を持つプロデューサーの存在が感じられます。
伊勢の神宮、富士山浅間大社、熊野三山・・・
各地に講を作り、所得の少ない庶民でも、一生に一度は参詣ができると期待を持てるシステムを作り上げた。
出羽三山のプロデュースには、修験者達の情報ネットワークがフルに活かされたのでしょう。
遥か遠いみちのくにある、信仰の地。
お竹さんの存在により、一気に出羽までの距離が縮まりました。
御開帳を機会に、訪ねてみようかな。
山形県庄内地方は、温泉も豊富だし、山形牛・米沢牛をメインに、米どころ庄内の地酒も楽しみだ。
お竹さんに導かれて、紅葉狩も満喫してこよう。