東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅 地下コンコース内 (日本橋三越本店本館 地下中央口付近)
「熈代勝覧」は日本橋~今川橋の江戸の様子がいきいきと描かれた絵巻です。 三越さんのルーツの呉服越後屋さんや、刃物の木屋さん(普請していのを含め4軒)、 犬20匹、馬13頭、牛4頭、人は1671人(私は数えていませんが)描かれているそうです。
犬20匹が描かれているように、江戸時代はペットブームだったそうで、 前回も触れましたが、犬の糞は江戸名物の一つだそうです。
猫も多く飼われていたようです。 落語の枕に出てきたと記憶してますが「猫の蚤とり屋」、江戸時代に実際にあったそうで、 これが商売になるほど、猫を飼っていた人が多かったのでしょう
「熈代勝覧」先ほどの刃物の木屋さんの所に「小田原町入口」と表記されています。 現在の築地6・7丁目を以前(50年以上前)、小田原町と言っていたので あるいは、ここを指しているかも知れません。
「小田原町」の名前は今でも築地6丁目の交番に 「小田原町交番」として残っています。
さてこの「小田原町」は(神奈川県)小田原衆がここに 移り住んだのが名前の由来とのこと。 (佃・明石町も同様らしい)
また「小田原町」ですが、日本橋を起点とする東海道の最大の難所「箱根」 ここにも「小田原町」があります。
五街道の起点日本橋
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宿場を設置する時に 隣宿の小田原宿と三島宿からそれぞれ50軒ずつ移住させ、宿場を設けたそうですが 現在の箱根町には、小田原町、三島町という名前が残っているそうで、 このときに由来するものと伝えられています。
また、たんなる表記という意味ばかりでなく、 小田原町は小田原藩領分であり、三島町は三島藩領分であったそうです。 江戸時代を通じて箱根宿は、1つの宿場でありながら、2人の領主を持つという特殊な 宿場だったのです。 このような支配形態を持つ宿場は、東海道五十三次の中で箱根宿だけだそうです。
旧東海道箱根付近 こんな様子です。
ここは杉並木、東海道は松並木が知られていますが高度が高いと松は育ちにくいそうです。
現在の国道を横切る所もあり、このように案内があります。
再び「熈代勝覧」、番屋があります。 番屋は今の交番に相当するものですが、木戸番と自身番がありました。
町内ごとに木戸が設置され、夜四つに木戸を閉め 明け六つに開けていました。 この木戸を管理するのが木戸番屋
町内の見回りなどの警備を担当してのが、自身番屋 その関係で、捕り物道具が常備されており、不審者や犯罪者を 一時拘留したそうです。
この江戸時代の番屋と現代の交番、場所がけっこう一致しているそうです。